実家からの贈り物が続いています。
先日は京都のお礼として手作りソーセージをいただき、ザワークラウトを作っておいしくいただきました。
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そうしたら今度は、実家で収穫した新米と栗が届きました。
今年のGWに田植えを手伝ったあの稲から米がとれたというわけです。
我が家は基本的に玄米食なのですが、新米だけは毎年白米に精米したのを少しだけ送ってくれます。そして実家の栗畑で採れた栗は、剥き栗にしたものと鬼皮のままのと両方ありました。
個人的に栗の鬼皮(一番外の固い皮)はなんとかを剥けても、中の渋皮を剥く方がなかなかうまくできないので、こうして全部剥いたのを送ってくれるのはとってもありがたいです。
ということで、早速新米と剥き栗を使って栗ご飯を炊きました。
栗ご飯
まずはお米を研ぎます。お米を研ぐときは「ありがとう」と「おいしくなあれ」の念仏を唱えて波動を送りながら。
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そのあと1時間ぐらい放置して浸水させます。
もちろん使うのはありがとうブルーソーラーウォーター。
水の分量は通常通りで、味付けにちょっとだけ塩を加えました。最後に上に剥き栗を敷き詰めて炊飯。
炊き上がったら飾り用にいくつかを粒のまま残して、他はゴハンと混ぜます。
秋の食卓
秋の味覚を楽しみたくて、キノコをたくさん入れた味噌汁と秋鮭を加えました。
食べるときはもちろん全集中で味わい、「私の体の一部になってくれてありがとう!」「健康にしてくれてありがとう!」「おいしい!」と心の中で念仏を唱えながらいただきます。
新米はやっぱり甘さが違いますね。そこに栗の爽やかな甘みが加わって、とってもおいしかったです!
これぞ幸せ。こんなおいしいものを食べて健康にならないわけがありませんね~
食べ物が我が家に来るまでのストーリーを想像する
食べるときに、米と栗をこうしていただけるようになるまでのストーリーを想像してみました。
栗が苗から育って実をつけるまで、どれだけの時間がかかったでしょう。中にはちゃんと成長できずに実にならずに終わったものもあったでしょう。虫に食われたものもあったでしょう。成長が不十分で小さいままの栗もたくさんあると思います。台風の雨風や雪の寒さにも耐え抜いてきたわけです。そう考えると我が家に届いた大きくて立派な栗が勝ち残った勇者のように思えてきました。
家族は栗を拾いに行く時間と労力、栗を剥く時間と労力、結構かかっているはずです。それ以前に栗の木のお世話もあります。枝を剪定したり、虫や病気にかからないよう消毒・防虫したり、栗畑の草刈りなどもしているでしょう。
お米もしかり。籾を撒いてから苗、苗を田に植えてから稲に生長する段階で、いったいどれだけ厳しい自然条件を潜り抜けてきたかしれません。家族だって、田植えをしてから毎日田んぼを見回って水の量を調整したり、稲の状態を観察したり、雑草を抜いたりいろいろ苦労があったはず。そうして稲刈りして収穫、乾燥・精米の過程を経たものが、こうして我が家に届いたわけです。
育ててくれた自然の力、お世話してくれた家族の力、運んでくれた人の力、いろんな方々の力があって、我が家にやってきた米と栗。もちろん普段いただいている野菜や果物にも同じことが言えます。
そう考えるともう、今目の前にある食べ物には「有り難い」しかないです。
「ながら食べ」なんて失礼に思えてきます。
だから感謝の意を表するためにも、最後の仕上げである「調理」にもできるだけ時間と心を込めてていねいに行いたいと思って、やっています。結局シンプルな味付け・調理方法が一番おいしいんですけどね(笑)
最後に
こうした長いストーリーを経て、我が家にやってきた食べ物たち。
それを調理して、おいしく味わえる健康な体。
どう考えても「生かされている」としか思えません。どう考えても「私は幸せだ」としか思えません。
実家で採れた文字通り「有り難い」米と栗。
実りの秋、食欲の秋を、全身全霊で感じて味わいつくした栗ご飯の食卓でした。
最後までお読みくださってありがとうございました。
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