食べたくなるのは満たされていない何かがあるから

考え方

45日間の不食的ファスティングを6月末で終え、通常食に戻ってから3週間以上がたちました。

チャレンジ終了後2週間ぐらいまではお腹が通常食に慣れる時期でもあったため、微食生活が続いていました。

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しかし、チャレンジが終わってから3週間以上が経過した今、また新たな局面を迎えています。食に対する執着と食欲がムクムクと頭をもたげてきて、お腹は空いていないのに食べるようになってしまいました。

今日は3週間が経過した現在の状態と、内観して食欲の原因が分かりましたので、それについて記事にしたいと思います。

チャレンジ終了後3週間以上が経過した現在の状態

チャレンジ終了から日がたてばたつほど、食に対する執着と食欲が強くなってきました。見たものや嗅いだ匂いに刺激され、誘いや誘惑に抗えなくなっています。いつも頭の中で「食べたいモノ」を常に探しているような状態です。

現在の食事は日によって多少の違いはあれど以下の通り。

  • 朝:甘酒、コーヒー
  • 昼:具入り味噌汁、玄米ゴハン1/3膳、漬物
  • 夜:お酒(自家製レモンハイまたはビール)、つまみ(野菜中心だが、鶏肉や魚、炭水化物をとるときもある)、ナッツ

体としては1日1食(昼のみ)で十分なのですが、今はほぼ毎晩お酒を飲み、何かつまんで1日2食になっています。夜8時までには食べ終えるようにしているのですが、食べたものが消化しきれない状態で睡眠に入るため、(暑いのもありますが)苦しくて熟睡できていないように感じます。翌朝はお腹が重く、体がむくんでいます。そのため午前中は以前とっていたフルーツもやめ、水分のみを摂ってむくみ解消、未消化物の解消に当てるようになりました。もちろん体重・体脂肪は右肩上がりで増えていて、も体はもちろん、波動も重く感じます。瞑想してもあまり集中できず、宇宙とつながってプラーナを取り込めているイメージが持てません。一言でいうと、心も体も重くてコンディションよくないです。

これまでファスティング(断食)を何度も繰り返してきました。ファスティングは固形物を一切取ってはいけません。「食べちゃダメ」を強要します。なのでいつもファスティングが明けると、その反動で食べてしまっていました。それを知っていたので、今回のチャレンジは完全な断食ではなく、限られた食材ではありますが「食べたかったら食べてもいい」という微食(不食)スタイルでガマンしないでやってきました。そして実際、チャレンジが終了して2週間経過するまでは食欲もそんなにわきませんでした。むしろ「私にはこれで十分」と満ち足りていたぐらいです。

2週間経過後と3週間経過後で何がそんなに違うのでしょうか。

内観してみました。そして、原因を突き止めました。

お腹がすいていないのに食べてしまう原因

私の中に何か「満たされていない感覚」「欠乏感」があるときに、食に走ってしまうということがわかりました。さらにそれをさらに掘り下げると、「焦り」「夢中になれていない」感覚であることが分かりました。

ひとつずつ見ていきます。

焦り

2週間経過後のわたしは、一日に昼ご飯一食だけでしたが、とても満たされていました。その時の心の声は「米が食べられる!味噌汁に具が入ってる!旬の夏野菜が食べられる!ああ、嬉しい!幸せ~」だったのです。

でもその食事にも次第に慣れてきて、いろいろなものを食べ、飲むようになりました。3週間が経過した現在の心の声は「添加物が入っているもの食べてまた体内が汚れてしまったわ。体重も増えたし、またいつファスティングやら長期間の不食的チャレンジやらで食事制限がかかるかわからないから、せっかくなんでも食べられる今のうちにいろんなもの食べておかなくちゃ!機会の損失だわ~」です。

自分の本音に気づいたとたん、ハッとしました。

私が体に良かれと思ってやっていた食品添加物をできるだけ排除した食品選びや不食的チャレンジは、本音のところでは「ガマン」になっていたのです。実際、スーパーで調味料やお菓子を買う際、いちいち後ろの原材料をチェックして「これはダメ、これはいい」と選ぶのはめんどくさいし、無添加食品が少なくてイライラしていました。不食的チャレンジにしても、私の心はまだまだ食べ物に未練・執着があるのに、いくら思考では「フルーツやナッツならOK」と許可を出したつもりになっていても「フルーツやナッツしかダメ」と禁止と受け取っていたのです。だから時がたつにつれ「食べられるようになった幸せ」よりも「また食べられなくなる(飲めなくなる)焦り」から、お腹がすいていなくても「今のうちに食べて(飲んで)おかなくちゃ!」と思っているんだと気づかされました。

夢中になれていない

もう一つは、心が何かに夢中になれていない、没頭できていないと、食べ物のことを考えてしまうのだとわかりました。つまり「暇」なのです。

私の場合はブログ執筆、ヨガ、瞑想、お掃除、ときにお料理なんかもそうですね、それらは私にとって「自分と向き合う時間」「整える時間」であり、大好きな時間なんです。それらをしているときは集中力が高まり夢中になって没頭して時間がたつのを忘れています。充実感が生まれ心が満たされます。そんなときは余計なこと(食べ物のこと)を考える隙なんて一ミリもないし、なんならお腹がすいていたとしても心が満ち足りている(エネルギーが充填されている)から食べなくても大丈夫なのです。「足るを知る(サントーシャ)」感覚があって多幸感に包まれているときも同じで、満たされていればほしくなりません。

しかしそれがなにかによって阻害されると、とたんに空いた隙間「欠乏感」に食欲が入り込みます。

考えてみれば、最近日本語の方の仕事で忙しく、瞑想の時間やブログを書く時間が確保できていませんでした。それで充実感や満足感が十分に得られていなかったというわけです。別に日本語を教えるのが嫌いなわけではないのですが、最近私と日本語の関係は以前ほど「夢中になれる、大好きな仕事」ではなくなってきています。今までそれを認識するのが怖くて目をそむけていたのですが、優先順位が変わったことを認めざるを得なくなりました。

対処法は認めて許すこと

まず、「いつでもなんでも食べたいモノがあったら、食べていいんだよ」と、その気持ちを丸ごと認めて本当にオールOKで許可しました。「ねばならない」も捨てて普段なら添加物が気になって避ける加工食品もOKです。それでお酒を飲んだ時にカップラーメンを食べました。まずかった!(笑)

でも、いいんです。それで私の心が「まずいものにわざわざお金払って食べなくていいよね」と腑に落ちてくれればいい。私の思考(理性)からの強制ではなくて、本心から納得してそれを選ぶことが大事。

食べること、飲むことに関しても「いつでも好きな時に食べられる/飲めるなら、今焦る必要ないじゃん?冷静に考えたら、今お腹空いていないし、実はそんなに食べたく/飲みたくないかも」って納得して、自ら「食べない」を選ぶことが大事。

次に、できる限り好きなことをする時間を確保すること。私の場合なら、仕事で忙しかったとしても、トイレやお風呂、寝る前などのちょっとした時間は確保できます。それに「ながら瞑想」や呼吸に意識を向けることならいつでもできるし、自分の心の状態を観察することはいつでもできます。頭の中でどんなお喋りが繰り広げられているか、心の声はなんと言っているかと客観的に耳を傾ける練習をすることもできます。むしろそういった方が「常に自分の内側に意識を向ける」いい練習になるかもしれません。心が本当にしたいこと、求めていることにできる限り時間を使ってあげると、心は「ちゃんと声を聴いてくれて、大事にされている」と満足してくれます。

認めて許したら起きたこと

「満たされない感覚」や「欠乏感」は、たぶんほんの小さな心の揺らぎでできるもの。波。その波の高い部分と低い部分のどちらに焦点を当てているかの違いによるものではないかと。

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しかも波なので、絶えず動いて変化しています。ずっと欠乏感が続くわけではない。

このようにして心の声を聴いて、受け入れて、許可したら、ほら。あっという間に焦点が変わって、「満たされない感覚」「欠乏感」「焦り」「恐怖」から「満足感」「多幸感」「安心感」が感じられるようになりましたよ。

あっという間に食欲も、酒欲も、落ち着きました(笑)

今は心の声は「安心したよー!無理に食べなくていいんだね。食べ過ぎ飲みすぎやまずいモノ食べるのは不快なのよね。」って言ってます(笑)

最後に

お腹がすいていないのに食べたくなるのは、満たされていない何かがあるから無視されている何かがあるから

それらは人によって違っていて、いろいろあると思います。例えば仕事のほかにも、友情、恋愛、家族関係、人間関係、愛情、自由、承認、過去の記憶、将来への不安など、一見食と全然関係ないことでも要因になります。そして「満たされたような」気分を得ようと人は食に走りがちになります。なぜなら食べればお腹が満たされるし、ドーパミンが出て「快」の感覚が得られるから。

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また人によっては食欲のほかにも、物欲、性欲など、その人にとって一番簡単に満たせる「欲」を満たすことで満たされない何かを穴埋めしようとする場合もあります。

ただどれを選んだとしても、根本の解決にはなりません。ちゃんと自分自身の心と向き合い、何が満たされていないのか、何を求めているのかをきちんと認め、受け入れ、そして「それもOK!」とそんな自分丸ごとハグ。

でも、自分の心、本音と向き合うことが、どれだけ怖くて大変であるかは、よくわかります。

 

この感覚、焦点が切り替わって感じ方が変わる感覚、忘れないようにしたいと思います。

この感覚さえ忘れなければ、そして「心の声」に常に耳を傾けることを忘れなければ、これからまた波に揺られることはあっても、きっとなんとかバランスを保っていけると思うから。

何度も左右上下にグラグラしながら、そのたびに微調整を繰り返して、うまく食欲と付き合っていこうと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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