小林正観「きくあの法則」と瞑想で降ってきたイメージ

考え方

競争社会の椅子取りゲームに参加している人、

どうしても他人と自分を比べて優劣をつけてしまう人、

自分が正しい、相手が間違っていると思って争いになってしまう人、

いらっしゃいませんか?

私も以前はそういうタイプの人間でした。(今もまだ残っていますが)

以前の私は、人より”上に行く””人と違うことをする”ことに一生懸命で、人に「すごいね」って言われたい、それが自分の存在を認めてもらえる方法だと信じていました。おそらく大半の人がそうなのではないでしょうか。学校や家庭でそう教わってきたのですから。

それが本心から望むもので、幸せになるなら全然かまわないのですが、もしその状況が本当は苦しくて本心では抜け出したいと思っているけど、「抜け出すのなんか許されない」「自分には無理だ」と思われている方がいらっしゃったら、小林正観さんの「きくあの法則」が役に立つかもしれません。

今日は私を救ってくれた小林正観さんの「きくあの法則」と、最近それに関連して瞑想で降ってきたイメージがあるので、シェアしたいと思います。

小林正観さんの「きくあの法則」

小林正観さんは著作家であり、心理カウンセラーでもあり、たくさんの真理に関する本を執筆されています。正観さんが提唱する宇宙の法則にはいろいろあるのですが、そのうちの一つが「きくあの法則」です。「きくあ」とは

き=きそわない

く=くらべない

あ=あらそわない

のこと。

競争、比較、争いは必ず勝者と敗者を生みます。勝って勝って勝ちぬいて一番になったとして、優越感を感じて幸せなのは自分一人だけで、他の人は幸せじゃありません。敗者は悔しさや劣等感や無価値観を抱いてしまいます。

それに、どんな人にも上には上がいます。例えば世界一のお金持ちが世界一の美男/美女ではありませんし、オリンピックの金メダリストも勉強やビジネスの世界では一番ではありません。一つの分野に絞った場合でも、例えばオリンピックの金メダリストであっても、一生涯金メダリストであり続けるのは難しいでしょう。時代の流れで人やルールや価値が変化しますから。

ということはつまり、みんな敗者になって、劣等感や無力感、無価値感を抱くようになってしまう。

これでは、だれも幸せにはなれません。

だから、競争から降りてしまいましょう。

人と比べるのもやめてしまいましょう。

争うことからおりてしまいましょう。

競争や争いに勝ったら「すごい」と言われるかもしれませんが、その分敵や敗者(悔しい思いや劣等感を抱く人)も増やしてしまいます。

そのかわりに、周りに喜ばれることをしましょう。周りの人や出来事に感謝してみましょう。

相手に喜ばれることをしたら、感謝してくれて味方になって困ったとき助けてくれる人が増えます。

「すごい」と言われる人になるのと、「ありがとう」と言われる人になるの、人生における幸せ、本当の成功はどちらでしょうね?

瞑想で降ってきたイメージ

地球に私がいます。私は自分の周りにいる大切な10人と手をつなぎ、その10人がまたその人の周りにいる10人と手をつないでいきます。そうやって感謝の心、喜びの心、温かい心、愛でつながった地球にいる私たちが見えます。

争うことが好きな人は、ここにはいません。そういう人たちは同時進行で存在すると言われているパラレルワールドにいます。波動が違うから、一緒の世界で交われないらしいのです。

「引き寄せの法則」や「類は友を呼ぶ」で言われている通り、同じような波動の人が引き寄せられるから、自分が発した波動と同じ波動の人、同じワールド(現実)が引き寄せられるという。

全部「自分」次第

ああ、結局「自分」なんですね。

競争するかしないか、人と比べるか自分そのままを認めるか、人と争うか円満に済ますか、決めるのは自分。

完ぺきな自分になろうと努力するのも、凸凹があってもいいと許すのも、決めるのは自分

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自分一人の幸せか、みんなの幸せか、何を幸せと感じるのか、決めるのは自分

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何に焦点を当て、どう感じ、どんな気分で過ごすか、決めるのは自分

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どんな波動を出して、どんな現実を引き寄せるか、決めるのは自分。

全部、自分次第、なんだなぁ~。

最後に

以前の私は、「競争から降りたら負け」「あんなふうにできない自分はダメな人間」「自分が正しくて相手が間違っている」と思って生きていました。心の声を聴こうとせず、苦しくても「頑張ることはいいこと」と信じていました。

でも「きくあの法則」を知って、わたしは「競争から降りてもいいんだ、自分が正しいと主張しなくていいんだ」と気づかされて、初めて常識や思い込みから解放され、肩の力を抜くことができました。

競争から降りるとき、はじめは怖かったです。周りからなんて言われるか「負け犬」とか「根性なし」とか言われるかとビビッていましたが、そんなことは一切起きませんでした。

良くも悪くも、みんな自分の人生を生きるのに一生懸命で、他人の人生なんて知ったこっちゃないのです(笑)

他人の目を気にして、他人軸で物事を決めても、だれも何も責任取ってくれません。

逆に、だからこそ、自分の人生のかじ取り、決定権は自分次第ってこと、自分軸で生きるってことの意味がよくわかりました。

「他人」は競争・比較・争いのためにいるのではなく、助け合い、支え合い、愛や喜びを与えあって笑い合うためにいる。そう思えるようになったら、幸せですよね?

 

この記事がお役に立てたら嬉しいです。

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