【不食への道】「不食」と「断食」の違い◆人は食べなくても生きられるのか?

考え方

先日2022年最初の10日間ファスティングを行い、現在は復食期を経て通常食に戻っています。今回のファスティングで得た「気づき」「疑問の芽生え」が今も続いています。

関連記事→復食期終了◆通常食に戻って思ったこと

「人は食べなくても生きていけるのではないか?」という疑問。

「食べないでどうやって栄養を摂り、どうやって生命を維持するんだ?」という疑問。

もう、毎日頭の中にクエスチョンマークが飛び交いっぱなしです(笑)

いろいろ調べてみると、同じ「食べない」でも、私が行ったファスティング(「断食」)のほかに、「不食」「微食」「少食」などの言葉が出てきました。

今日はそれらの言葉の違いについて記事にしたいと思います。

「断食」の意味

飽食の現代では、食べ過ぎや有害物質の摂取により内臓が疲弊して処理しきれなかった老廃物が溜まってしまっているので、しばらく食べるのをやめて回復&毒出ししましょう、これをきっかけに正しい食事を心がけましょう、というのが「断食」の考え方です。前提として「人は食べ物から栄養を補給し、それによって生命を維持している」という考えがあります。つまり「人は食べなければ死んでしまう」という前提。ですから一時的に固形物を食べない期間があっても、また食べる生活に戻ります。食べない期間である「断食期」の前後に「準備期」と「復食期」を設けるのはそのためです。「準備期」で食べないことに対する心と体の準備を行い、「断食期」では最低限の栄養素を含んだ液体のみ摂取して内臓の休息&体内デトックス、「復食期」には空っぽになって休んでいた内臓を起こして消化活動をゆっくり再開し、また食べる生活に戻っていきます。繰り返しますが「人は食べ物から栄養を取らなければ死んでしまう。だから一生食べ続ける。」という考え方が前提にあるため、食べるのをガマンする断食は修行的・苦行的な意味合いがあります。

「不食」の意味

「不食」という言葉は不食研究所代表の山田鷹夫さんという方が考えた言葉で、文字通り「食べない」生活を指します。前提として「人は食べなくても生きていける」という考え方があります。ここが大きな違いです。「食べなくても大丈夫」と思っているので、期間が決まっていません。なんなら一生固形物を食べなくてもOKです。また、「不食」の人は食べないことに体が慣れているため、食べないでいることに努力とかガマンがなく、むしろ心地いいとさえ思っています。趣味・嗜好、ライフスタイルの一つとして食べない生活を選んでいると言えます。「食べたかったら食べてもいいけど、食べなくても問題ない」というスタンスなので、細かい決まり事もありません。例えば「絶対〇日間は固形物を摂ってはいけない!」とか「食べない間に飲むドリンクは〇〇じゃなければダメ!」とか、水分摂取の量どころか「飲む・飲まない」も自由です。自分の体質・体調に合わせて自分なりの「不食」スタイルが出来上がります。準備期や復食期という考え方もありません。やろうと思ったらいつでも始めて、いつでもやめられるからです。「食べなくても死なない」という安心感、意識だから、「餓死」もありません。もうこうなると仙人ですよね(笑)

 

「不食」の2タイプ:「ブレザリアン」と「リキッダリアン」

「不食=食べない」人といっても、そこにもゆるーくタイプがあります。

固形物は食べないけど青汁やスープなどの液体は摂るという人を「リキッダリアン」、そして水分さえとらず、呼吸だけで生きている人を「ブレザリアン」と呼びます。ブレザリアンは呼吸によって空気中や宇宙の気(プラーナ)を体内に取り込んでエネルギーにしているそうです。また、リキッダリアンの場合でも液体だけで基礎代謝に必要なカロリーはどう考えてもとれないので、やはりプラーナを取り込んでエネルギーにしていることは間違いないようです。つまり不食の人はエネルギーを食べ物から摂るのではなく「気(プラーナ)」から摂っているということです。

うーん、やはり仙人ですね~。どんな世界なんでしょう??めっちゃ興味あります!

「不食」へのステップ:「少食」と「微食」

普通に1日3食食べていた人が、いきなり不食になれるかというと、それはだれがどう考えても無理がありますよね。「1食でも抜いたらお腹空いて死んじゃう!」と思っているわけですから、そんな心も体も準備ができていない人がいきなり食べなくなったら栄養失調になったりやせ細ったりしてしまい危険です。

ただ、本当に1日3食も食事をとる必要があるか?というと、そこは甚だ疑問。実際先進国では食べ過ぎが原因の疾病が増加しているのも事実です。

そこで、1日3食から1日2食、1日1食へと回数を減らしたり、1回の食事量を腹6-8分目に減らしたりすることをまず行います。これだけでもだんだん体が軽くラクになり、変化するのに気づけます。1日1食(量少な目)だと「少食」と呼ばれるようになります。

さらに進んで、1日1回の食事の量が野菜や果物を少しだけなど、さらに少なくなったものを「微食」と言います。ここまでくると食べないことが怖くなくなり、空腹が快感になり、もうほとんど「不食」に片足突っ込んでいます。

まとめ

「断食」と「不食」は似ているようで全然違った概念だということがわかりました。

「食べなくても生きていける」とは、にわかに信じがたい概念で、これまでの常識を覆す生き方です。でも、そんな不食の人たちが今や世界に10万人以上いるというから驚きです。今、人の生き方の常識が変わろうとしています。

私たちは子供のころから「食べなかったら死んでしまう」と思い込んで育ってきました。だから、生きるために食べる→食べるために働いてお金を稼ぐ、という考えで生きてきました。1日に摂取すべき栄養素も厚生労働省から示されたものを「正しい」と思い込んで、「〇品目をバランスよく食べる」ことをよしとしてきました。食欲は人の本能・3大欲求だからコントロールはできてもなくすのは無理だと思っていました。しかし、そうじゃないんですね~

関連記事→人はどうして食べるのか?食べる意味を考える

 

ヨガ的生活に基づいた生活を送っている私としては、「気(プラーナ)を取り込んで生きる」ということにめちゃめちゃ興味があります。調べると、それはもう悟りとか、宇宙とつながるとか、心の平安とか、まさに私が目的としていることが体験できるそうです。不食になることでそれが叶うなら、目指さない手はないでしょう。

幸い、断食を何度も繰り返して空腹の感覚には慣れているし、1日1食なので少食にもなっています。ヨガ・瞑想・腸活をして体の声を聴くこともできるようになってきました。これから少しずつ、「不食への道」を進んでいこうと思います。

今日は所信表明ということで(^^)

 

この記事がお役に立てたら嬉しいです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました