【ファスティング・瞑想】人はどうして食べるのか?食べる意味を考える

みなさんは何のために食べていますか?

食べないと死んでしまうから、当たりまえじゃん?

と思われた方もいらっしゃるでしょう。

 

私は今日でファスティング5日目を迎えました。

薄い味噌汁と、時々甘酒と、お茶や水などだけで生きています。

胃が縮んだままなので全くおなかがすきません。

そう、食べなくてもお腹が空かないのです。

そして死にません。

なんなら、体中に溜まった毒がデトックスされ、オートファジーが働いて細胞から生き返り、内臓は休んで回復し、頭はスッキリ集中力が増し、筋肉も柔軟性が増し、体重(体脂肪・内臓脂肪)は減るし、いいことづくめです。

 

じゃあ、どうして人は食べるのだろう?

今日はこのことについて考察したことを記事にしたいと思います。

生きるため

まずはやっぱりこの理由。私が何も食べなくても生きていられるのは、非常用に蓄えられたグリコーゲンと脂肪細胞のおかげ。つまり体中に蓄えられた脂肪がエネルギーの貯蔵庫となり、何も食べ物が入って来ないときにはこの脂肪がエネルギー源として消費されていくので生きていられるのです。もし、私がガリガリで体脂肪ゼロだったら、また状況が違っていたでしょう。

細胞がきちんと働くためには、酸素と栄養を届けなければなりませんから。その栄養は食物から摂る必要があります。

ただ、ここでちょっと考えたいのは、世の中にはほとんど食べなくても生きている「不食の人」が存在しているのです。『食べない人たち』(マキノ出版)という本で紹介されていて、一日青汁一杯だけの人もいれば、全然食べない人もいる。それももう何年もそういう食生活なんだそうです。

ヨガのグル(すごい先生)も一日に小皿一杯ぐらいしか食べないそうです。

実は、私たち人間が生きるために必要としている栄養やエネルギーは、今世の中で言われているよりもっとずっと少なくていいのかもしれません。

 

うーん。だとすると、生きるために食べるとはいっても、その量や質を考えなければなりませんね。

一日3食はとりすぎだし、栄養価が高くて汚染されていないピュアな食べ物を摂らないと。

お腹を満たすためだけに栄養の全くない加工食品を口にしていたら、それはもはや生きるためではなく一体何のために食べているということになるのでしょう?現代の日本においても栄養失調者がいるというのは、そういうことと関係があるかもしれません。

 

食欲を満たすため

次の理由はこれ。これが一番強いように思います。

じゃないと、栄養のない食品や体に良くない食品を好んで食べる理由が思いつきません。

脳は刺激が大好き。他の臓器や細胞がどうなってもいいから自分だけはいつも「快」の感覚を得たいと思っています。「快」の感覚を手っ取り早く得られる方法が「欲を満たすこと」。欲にも食欲、性欲、金銭欲、承認欲求などいろいろありますが、その中でも誰でも簡単に満たせるのが「食欲」。特に糖分、脂質、甘味の匂いや味は脳にとって刺激的すぎる大好物なんですね。売り手はそこんところをよく知っていて、私たちが食欲をそそられるような匂いや味、見た目をした商品を出して食欲を刺激してくる。それを食べればドーパミンがドバーっと出て、気持ちよくなる。しかしそれも、すぐ消える。また刺激と「快」が欲しくて食べたくなる。その繰り返し。

お腹が空いていなくても食べたくなったり、栄養がない食品でも食べたくなるのは、この「食欲」への刺激によるものだと思います。

参考記事→腸は脳より賢い!暴飲暴食を防ぐ方法

 

食にまつわる楽しい記憶が忘れられないため

ファスティング5日目にもなると、もうお腹はすきません。

糖分を摂らないで、胃が縮みっぱなしだと、お腹が鳴らない=お腹が空かないのです。お腹が空かなければ、先に述べたような強烈な刺激でも受けない限り、そんなに食欲も湧きません。

なんならどこまででも食べないで行けそうな気にさえなります。

 

考えたことがあります。ずっと食べないでいられるなら、今後何も食べない不食の人になるか?または青汁一杯ぐらいの食生活になるか?

 

答えはNOでした。

 

私は食べるのが好きなんです。

いろいろな記憶があります。

モノを噛む感覚、その舌触り、バラエティに富んだ味わい、食卓を囲んでワイワイする時間、全部好きです。

人生の楽しみの一つと言ってもいいでしょう。

 

大好きな果物の味を覚えています。もうアレが食べられないなんて考えられません。

おいしいお料理の味を覚えています。もうアレが食べられないなんて考えられません。

母が作ってくれた料理の味も覚えています。もうアレが食べられないなんて考えられません。

みんなでパーティをしたときのことも覚えています。もうあそこに参加できないなんて考えれらません。

 

「不食」になることで、それらを手放すのはちょっと・・・

食べることにまつわる楽しい記憶があるから、またそれを体験したい!と「食べること」に戻っていってしまうのだと思います。

まとめ

今日は「人はどうして食べるのか」ということについて考察しました。

もちろんこれは今の私が考えたことであって、これが正しいとも思っていませんし、今後考えが変わるかもしれません。これをお読みになっている方にも疑問、反論、いろいろあると思います。

ただ、ファスティングをしていると「食べる」とか「食欲」とかと距離ができ、ちょっと普段と違った視点で見ることができるので、思ったことを書いてみました。

 

みなさん、いかがでしょうか。

 

この記事が参考になったら嬉しいです。

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