年末年始が来るより前に一足早く義実家に帰省してきました。
今年、義実家は引越しをしました。
雪国の大きな家を売って、冬でも暖かい場所にある小さめの家にお引越し。
当初は年末年始に行く予定でしたが、「コロナが落ち着いている今のうちに」ということでひと月早まった帰省。
そこで「住居」についていろいろ思ったことを記しておきたいと思います。
老夫婦には住みづらかった前の家
義両親が住んでいた前の家は建坪広い2階建て。使わない部屋が多くあり、老夫婦には管理しきれずにいました。築20年がたち、備え付けの器具類はあちこち壊れたりガタが来たり、屋根からは雨漏りが始まり、いろいろメンテナンスが必要になっていました。そういうの一つ一つ対応するには調べたり連絡したり、やる気も行動も必要。正直おっくうで放置状態、「直すより買った方がはやい」だったようです。冬に雪が積もったときには、ご近所の人が雪かきをしてくれていたようです。
老夫婦の新しい家と想像と違った点
さて、そんな冬は寒くてやたらと広くて掃除も管理も大変なお家を手放し、前の家より小さい中古物件を購入し、子どもたちの住んでいる所の割と近くの温暖な地域に引っ越してきました。
実際にお家を訪問してみて思ったのは、わたしが勝手に想像していた住居とはちょっと違うな~と。それは
- またもや2階建てだった
- たくさんの荷物に空間が占領されるようになってしまった
- 車がないと生活できない
ということです。
①またもや2階建てだった
私はてっきりこれから階段の上り下りがつらくなるだろうから、平屋建てのお家にするのだろうと勝手に思っていましたが、予想に反してまたもや2階建てで、しかもご夫婦の寝室は2階にありました。手すりもついていますし、もちろんまだまだ元気に動けるからいいんですけどね。ちょっと意外でした。
②たくさんの荷物に空間が占領されるようになってしまった
今までは大きい家だったのでたくさんモノがあっても圧迫感なく暮らせていました。大きい家具も余裕でした。ところが今度の家は前の家の1/3程度の大きさ。前の家で使っていた家具は、新しい家ではサイズが大きくて場所をとるようになっていました。
要るもの、捨てられないモノもたくさんあります。受け継がれてきた年代物の品の数々、収納、思い出の品、生活用品、未使用品、いろいろ全部入れたら客間として使う予定だった部屋が占領されてしまいました。子供たちが小さかった頃の所持品(マンガや本、ゲーム、アルバム)などもあります。義母は義母なりに「たくさん捨ててきた」とのことですが、それでもまだまだ・・・。
さらに、引っ越しのときに捨てたり譲ったりする予定だったものまで(全部ではないですが)箱詰めされてしまったようで、要らないものまで一緒に運び込まれたそう。荷ほどきをし、「要る・要らない」をまた選別し、ゴミ出しの準備(場合によっては回収依頼の連絡)をするのは、私たちのような現役世代でも本当に大変で、やる気が出ないで放置してしまうのは本当によく理解できます。
そんなこんなで、新しい家にはモノが前より存在感を増して鎮座していました。
③車がないと生活できない
田舎あるあるですが、車がないと生活に支障をきたすようになってしまいました。義父は車の運転ができますが、義母はできません。前の家は歩いて行ける距離に駅、スーパー、ドラッグストアがあったので義母一人で行動することができましたが、新しい家の近くにはそれらがなく、車かバスを利用しなければならなくなりました。
義父が元気なうちはいいですが、高齢者です。
いろいろ心配になってしまいました。
まあでもご本人たちがいろいろ物件を見た中でここがいいと決めたわけですから、いいのでしょう。
老夫婦が家を選ぶ際に大切にしたもの
義両親の家選びの話を聞いていて、お二人が大切にしているものがなんとなくわかりました。
それは「子どもたち(家族)」です。
老夫婦だけなら2階建ての部屋数の多い家なんて必要ないのに、またもや2階建てを選んだのは「子供たちが泊まりにきたとき寝られるように」。お布団もそう。捨てられない荷物の中にも子どもたち関連のモノがたくさんありました。思い出も、これからここで一緒に過ごす時間も、お二人にとっては宝物なんですね。
子どもがいくつになっても、歳をとっても、親は親。
子どもが大好きだし、子どもに与えられるものはなにかないかと常に考えているし、帰るときにもお土産一杯、離れていても常に気にかけてくれています。
たぶん私の親も、この記事を読んでくださっているみなさんの親も、世界中の親も、多少の差はあれどみんなそうなんじゃないですかね。
私には子どもがいないので親の気持ちはわかりませんが、「かわいい」という気持ちはわかるような気がします。
親って、本当に、ありがたいです。
大切にしようと思います。
住居について考えたこと
もともと夫も私も住居を買って所有することにまったく関心がありませんでしたが、今回の義両親の引っ越しでもその考えは揺らぎませんでした。
人生、いろいろ変化してゆきます。いろいろ変わってゆくのに、住処が(場所も大きさも)固定されていてはその変化に対応できないように思います。もちろん「売って引っ越す」という選択肢もあるのは分かっていますが、私たちにとっては所有する・手放すことに付随するあれこれがめんどうだし、「ずっと住める場所がある」という安心よりも、その時その時でベストな選択ができる方がいいです。
「自由に選べる」というのが私たちにとって一番の「安心」になります。
もちろんマイホーム派を否定しているわけではありませんので、誤解なきよう。義両親の選択だって自分たちの価値基準でベストな選択をしたのですから、いいのです。
今は仕事とか生活スタイルとかでこの場所がいいと思って住んでいますが、すでに私はペットが飼いたくなってペット可の物件に引っ越したくなっていますし(笑)、将来はキャンピングカーで日本一周の旅もしたい。そうなったら住居は物を置いておくだけのスペースがあれば十分です。旅に行った先で、「ココに住みたい」と思うような場所に出会うかもしれない。海外移住だって条件がそろえばするかも。
「住居がない」。それだけで夢が膨らみます。
確定していない未来は不安もあるけれど、それ以上にワクワクも楽しみもあります。
まとめ
今日は新しい義実家に行って考えたことを記事にしました。
所詮全ては借り物。
命ある間だけお借りしているもの。
購入しようがしまいが、家だろうがお金だろうがなんだろうが、死ぬとき全てお返しするもの。この肉体さえも。
3.11の東日本大震災の経験からも、「所有している」ことが「安全・安心」につながるわけではないと気づかされました。
なんとかこの人生を生き抜けられれば、それが「勝ち」と思って、これからも所有物は少なく身軽に、自由に生きていこうと思っています。
この記事が参考になれば嬉しいです。
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