【考え方】SNS恐怖症だった私が一歩踏み出せたきっかけとは?

考え方

みなさんは人間関係の悩みってありますか?

SNSはよく利用しますか?

SNSにアップされた知り合いの投稿を見てどう思いますか?

SNSに自分がアップする投稿はどんなものでしょうか?

 

私はSNSは人が投稿したものを見ることが多く、自分はあまり投稿しません。そして投稿する内容は当たりの障りのないものが多く、自分にとって重要な出来事、本当に伝えたいメッセージなどは投稿したことがないかもしれません。それはSNSが怖かったからです。

自分にとって重要なコトをさらけ出して、人はどう思うんだろう。批判されたら怖い!

そう思って、重要なことは人目にさらさず隠していました。

「ました」と過去形にしたのは、あることがきっかけでこの沼から一歩抜け出すことができたからです。こうやってこのテーマで記事を書こうと思ったこと自体、今までの私からしてみたら信じられないこと、ものすごい前進です。

今日は私が沼から一歩踏み出せたきっかけについて記事にしたいと思います。

これまでの自分自身に対する考え方

私は自己肯定感がものすごく低いです。心の奥底では自分を認めず、否定していました。みんな私を嫌っているんじゃないかと恐れていて、だからそれを隠すために明るく振舞ったり、「いい人」ぶったりしていました。

友人や夫にこのことを告白したとき、とてもびっくりされました。それぐらい普段は巧みに隠しています。

なんでこんなふうになってしまったのかと深く掘り下げてみると、幼少期にいじめられていたことと、親に受け入れてもらえなかった経験が根底にあると気づきました。

私は3人兄弟の一番上、初孫なので、祖父母や近所の人たちが「かわいい、かわいい」といろんなおやつを与えてくれたため、物心ついたころからコロコロと太っている子供でした。太っているのが原因で幼稚園では男の子たちに追い掛け回されいじめられていたことがあります。それを周りの大人には言えませんでした。小学生ぐらいになると、友達とたびたびケンカしました。ケンカした友達はほかに友達をみつけ、そっちに行ってしまいました。高校を卒業してから進学した学校では、言葉がなまっているとクラスメートに笑われました。

また、両親共働きだったので、いつも疲れていたと思うんです。そんなことにお構いなく幼い私はかまってほしがったり、わがまま言ったりしたのでしょう。そんな私に対して両親は「後にして」とか「忙しいんだからあっち行って」とか言ったのだと思います。そういう些細なことでも子供だから両親に否定されたと思ってずっと心の奥底に残ってしまったんだと思います。

そんな経験があったからか、いつしか私は「嫌われるのが怖い」「本当の自分を出すと嫌われる」「私は実は人に嫌われるようなイヤな性格の人間なんじゃないか」「今まで出会ったほとんどの人は私を嫌っている」と思うようになりました。

人前で本音・本性を出すのが怖くなり、いい人に思われたいと猫をかぶるようになりました。人気のある友達の真似をしてふるまってみたり、当たり障りのない受け答えや人付き合いをするようになりました。中には本当に仲良くなれる人もいましたがそういう人はほんの一握り。ほとんどの人たちには本当の自分を出さないまま終わりました。

友人からのきっかけの一言

ヨガや瞑想を始め、心の声に従うよう心がけるようになって、私も少しずつ変わってきました。

猫をかぶった偽物の自分を好きになってくれる人がいないのは当然ですよね。だって本当の自分じゃないんですから興味を持たれるわけないし、そもそも失礼な話です。そして少数ながらも本当の自分を見せても好きでいてくれる友人の存在のおかげで、少しずつクセの強い本当の自分をさらけ出せるようになりました。全員に好かれる人はいないし、自分と合わない人からは嫌われてもいいやって、思えるようになりました。

そして今現在、私はヨガや瞑想やファスティングの気持ちよさをたくさんの人に伝えたい、みんなが持っている本当の自分の能力の素晴らしさに気づいてほしいと思うようになりました。そのためにはそれをメッセージにして人に伝えなければなりません。ブログを始めたのもそういう理由もあったからです。ブログは私の知らない人に主に届きます。私は知らない人からの否定、批判はあまり怖くないのですが、SNSは私を知っている人に主に届くので、そっちからの否定・批判が怖いのです。

先日、私のヨガレッスンを受けてくれている友人にそのことを話したら、「わたしはあなたを全力で応援するけどな~。「自分を嫌っているかも、批判されるかも」って人を気にするより、あなたを好きな人、あなたが提供するサービスや想いを届けたい人に向けて投稿したらどう?必要としている人、きっといるよ?」と。

私はこれを聞いて、目の前がぱーっと開けましたね。

ポイントは「何に焦点を合わせるか」

私は今まで「私を嫌ってそうな人」「批判しそうな人」「どう思われるか考えると怖い人」という恐怖フィルターでもって、おそらくたくさん存在する(と妄想上思っている)「キライな人、苦手な人」に焦点を当てて、「投稿しない」という選択をしてきました。

しかし、この友人からの一言がきっかけで、私はもう一つの焦点を当てるべき人たちに向けて「投稿する」という道もあると知りました。その人たちとは、私が大切に思っている人、私がこのメッセージを届けたい人、私を好きでいてくれて応援してくれる人のことです。つまり愛情フィルターでもって、少数かもしれないが確実に存在する「好きな人」に焦点を当てればいいということです。

どうせ人間はフィルターを通してしか世界を認識できません。だったらネガティブフィルターを通して恐怖によって選択するよりも、ポジティブフィルターを通して「好き」という気持ちによって選択した方がよっぽどいい世界が現れます。

それにそもそも「嫌われている」というのは私の妄想でしかなく確実ではないし、もし本当に私を嫌っている人がいたとしても、私の投稿はスルーして終わり、わざわざ批判を書き込むようなヒマジンはいないと思うのです。

それに対して、私が大切にしたい大好きな人は確実にいます。自分軸なので現実です。「私が大好きなAちゃん、いつも頑張っていて癒しの時間を届けたいBちゃん」に対して「とどけー!」という気持ちでメッセージを書く。それを投稿すればいいと気づけた瞬間、長いことはまって出られなかったSNS恐怖症の沼から一歩踏み出すことができました。

SNSに実際に投稿してみたら

勇気を出して、心を決めて、「本当の私」をSNSに投稿してみました。大好きなあの人にメッセージを届けるつもりで書きました。

そうしたら、メッセージを届けたかったAちゃんやBちゃんから書き込みがあったのです!

ほかにも、嫌われているかと思っていたあの人や、どう思われるか心配だったあの人からも応援してもらうことができました。

もうね、「妄想」「恐怖」は頭の中にだけ存在するもので、そんな現実はどこにもないって、本当に思い知らされましたね。

最後に

私は友人からの一言がきっかけで、自分のフィルターや焦点がずれていたことに気づけました。自分の「思い込み」や「妄想」や「色眼鏡」って、本当に自分一人では気づきにくいモノで、誰かに話して違う見方を教えてもらって初めて気づけたりするんですね。

それに改めて、私にとって「友人は量より質」、「相手が自分をどう思うかではなく、自分が相手をどう思うか、自分軸が大事」だってことを実感しました。

これからは、恐怖を感じたら「私の好き」に焦点を当てて、それを大切にして、選択していきたいと思います。

気づかせてくれた友人M、本当にどうもありがとう!

 

この記事がお役に立てたら嬉しいです。

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