「断食」ではなく「不食」に移行中◆いまだに未練が残っている食べ物とは

断食・不食

これまで「不食的ファスティング」と勝手に名付けた数週間の断食を定期的に続けてきました。

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それらの経験を通じてたくさんの学びがありました。

  • 食べないでいるほうが、体(内臓)が軽くて快適
  • 「食べなきゃ死んじゃう」は思い込みだった。
  • 食べないでいるほうが、頭もスッキリ、心もスッキリ
  • ガマンが入るとストレスになる。ストレスになると余計食べたくなる
  • 食欲を抑えると、逆にもっと食べたくなったり他の欲が高まったりする

しかし、また不食的ファスティングををしようと思ったときに、違和感を感じたのです。そして、気づきました。

「不食的ファスティング」と「不食」は全然違った

「断食(ファスティング)」は、食べないでいる期間を設定してその期間できるだけ食欲をコントロールし、終了したら食べる生活に戻ることを前提としているので、「生き物は食べるもの」という前提がある。やはりどこかに「ガマン、抑制」が入ってくる。いくらフルーツやナッツは食べてもいいとは言っても、他のモノが食べたくなったらその欲望を抑えなきゃいけなかったわけです。だって食べたらせっかくキレイになった内臓が汚れちゃうし、吸収が良くなっているからいつも以上に栄養を吸収してリバウンドにつながるし、なんといっても「食べちゃった」という罪悪感とか後悔とか自己嫌悪とか、そういう自責の念に駆られます。「断食(ファスティング)」はそこにガマンの要素が入る限り、一つの体にとっての健康法ではあるけれども、心にとってはストレスになるものなのかもしれません。

「不食」は違います。食べることを否定していません。食べても食べなくてもどっちでもいい。食べても食べなくても死なないんだから、どっちでも好きな方を選んでよ、ということになります。生きるために食べるというより、趣味で食べる、とか、ライフスタイルという感じ。だから期間も決まっていないし、そんなに食べたいと思わなければ食べない日が続く。逆に「あ~、なんか無性にラーメンが食べたいな~」と思えば、いきなり食べてもいい。それで満足すればまた食べない生活に戻るだけ。「腸が!」とか「リバウンドが!」とか、「べき」「ねばならない」に囚われなくていいのでストレスフリー。

「不食」生活に移行中

ということで、3月の末から「不食的ファスティング」をするつもりだったのですが、ノンストレスの「不食」生活を始めました。期間は決まっていないし、わたしにとってファスティング期間の終了の合図である「スッキリ大根」もありません。食べたいときは食べるし、そんなに欲しくないときは食べないでOKという生活が始まりました。そうしたら、これが私にはちょうどぴったりで心地いい!「食」から自由になれました。

「一日〇食」「時間になったら食べる」から自由になった

おなかがグーっと鳴っても、「あ!食べなきゃ/飲まなきゃ死んじゃう!」とはならずに放置できるようになりました。そのあとで、喉が渇いていたら水分を摂りますし、何時だろうがちょっと口にしたいと思ったら食べます。食べたいものが特になかったら食べません。「欲しくないから食べない」という、いたってシンプルな選択。

食べたいものを食べたいタイミングで食べるようになった

普段は水分のほかにフルーツやナッツで心もお腹も十分満たされるのですが、「なんだか無性に〇〇が食べたいんだよね~」とある特定の食べ物に対して食欲が湧くときがあって、そういう時はそれまで幾日も大して食物を口にしていなかろうが、自分で自分に「食べてもいいよ」と許可するようにしました。先日は「刺身」でした。しかも1日ではおさまらず、来る日も来る日も刺身欲が湧くので、それが落ち着くまで刺身を食べ続けました。4回ぐらい食べたら急におさまり、なにかが満たされたかのようにそれ以降はまったくです。また食べない生活に戻りました。

断食の常識からするといきなり食べたいもの、しかも動物性たんぱく質を体内に入れるのはタブーです。消化器官がびっくりしてしまう、吸収が良くなっているのでリバウンドしやすいなどもありますが、一番はリフィーディング症候群になり最悪の場合死亡することもあると言われています。

ただ私の場合は一切食べ物を口にしていなかったわけではないし、体の欲する声に従ったまでです。だから悪いことが起こるはずがないと心から思っていて、そういうことになるイメージが一切浮かびませんで、実際思った通り命にかかわるようなことは起きませんでした。ただ食べた後は「体重いな~」とは感じましたが。マインドの力、本当に強力です。

いまだに未練が残っている食べ物

これまでの(不食的)ファスティングをとおして、もうほぼ肉、乳製品、スイーツなどへの執着・欲求はなくなりましたし、出来合いの調味料なども必要なくなりました。このように執着が離れた食べ物がある一方で、先述の刺身のようにまだたまに食欲が頭をもたげてくる食べ物があります。

現在の私の場合は次のようなものです(果物とナッツは除く)

  • 中華料理(飲茶系)
  • イタリア料理(トマト料理)
  • 海鮮類
  • 野菜類
  • アルコール
  • ごはん(玄米)
  • 蕎麦

自分の内側を観察

今現在の私はこうなんだな~と「わかった」だけで、否定も非難もしませんし、急にラーメンが食べたくなったら食べます。そして、その後の体の感覚、心の声を全身で感じます。たとえば、「食べられて心は満足だけど、お腹がすごく重いし、眠気もすごいんだよね」とか、「食べ物への未練というよりは”噛む”という行為への未練、または”味”への未練なのかも」とか、「欲を満たすには通常の一人前の量は必要なくて、ほんの2,3口あれば十分かも」とかです。ビールも最初の一口だけがおいしかったりしますよね。あれと同じ感覚です。そういうことが一つ一つわかって、「いいよ、ゆっくりいこう」と自分にOKを出してあげることで、いつかまたふっと執着が手放せるのではないかと思っています。

最後に

もう「断食(ファスティング)」という行為も手放して、その道のプロからしてみたらあり得ない食生活を送っていますが(私もファスティングの生徒さんにはこのやり方は進めません。なぜならその方たちは健康法として「食べない」期間を設けているだけで、また「食べる生活に戻っていく」ことが前提だからです)、このハチャメチャな食生活が私には本当にストレスフリーで、自由で、心地いいです。だって「ダメ」「ガマン」「禁止事項」が本当に何もないのですから。

今後どうなっていくのか自分でも楽しみです。また食べる生活に戻ってもよし、完全に食べる行為を手放してもよし。ただ、今現在の自分の状態をこうして記録しておきたいなと思ったので、今回記事にしました。あくまで一人の人間の、不食への道の途中経過としてお読みいただき、決してこれが不食への正解だとか、自分も同じように真似しなくちゃとか、そういうことのなきように、ご自身にぴったり合って心地よい道はご自身で探してみてください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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