【考え方】わたし、ついてます!

みなさんはご自分を運がいいと思いますか?悪いと思いますか?

ついてると思いますか?ついていないと思いますか?

 

悪いことが続くと、「自分はついていない、不運な人間だ」と思ってしまいます。

でも後になって、そのことがあったからさらに大きな不運を避けることができたというどんでん返しもよくあります。

 

先日母と電話で話をしました。いろいろな話をしたのですが、

「あなたはついてるよね」と言われました。

自分でもそう思います。

今日はこのことについて記したいと思います。

私の人生最大のラッキー

わたしは2,3歳のころ事故に遭い、車ではねられました。私は小さかったので記憶はありませんが、大きく空に舞い上がり、地面にたたきつけられたそうです。最初に行った病院では「助からない」と言われたそうです。諦めきれない母は他の病院に私を連れていき、そこで「大丈夫」と言われたそうです。

私は怪我はしましたが、体の機能に異常はなく、脳にも異常はなく、こうして「ふつうに」元気に暮らせています。これを「ラッキー」と言わずにいられるでしょうか。母には感謝しかありません。

私の人生の何が一番ラッキーって、たぶんこれだと思います。

神様が、体が、「生きろ」と言ってくれた。

この話を思い出すたび、「私の命は生かされている命」と思うようになりました。

ここ10年ぐらいの間に起こった大きなラッキー

それからここ10年ぐらいを振り返ってみても、ラッキーなことばかり起きています。

挫折して帰国、そして結婚

私は海外のいくつかの国で働いていましたが、最後の国がなかなか適応できず、ヨガや瞑想によるストレス解消もうまくいかず、最終的に完全帰国を決断しました。

その時はもうそれしか自分を守る道がありませんでした。帰国してからもしばらく低空飛行状態が続いたのですが、そんなある日夫と出会い、結婚に至りました。

あのとき海外でのキャリアを諦め、帰国を決意し、これからは日本にいようと思っていなかったら、きっと夫に出会えていなかったし結婚していなかったと思います。

夫の海外赴任取りやめとコロナ

結婚後すぐに、夫に海外赴任の話がきました。夫は引き受けるつもりでした。

夫の海外赴任が間近に差し迫ったある日、私の妊娠が発覚しました。海外へは一緒に行けそうもありません。夫は海外赴任を辞退しました。残念ながら、その後妊娠は継続しませんでした。

結果的に夫は海外に行けず、授かった命は消えてしまった。すごく悲しかったし申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

でも今コロナ禍になり、海外への行き来が自由にできなくなりました。「もしあの時海外赴任していたら、今頃どうなっていたんだろう。行かなくて本当によかった」と夫が言ってくれた時に、「あのとき舞い降りてきてくれた命が私たちを守ってくれたんだなぁ。」と思わずにはいられません。今でも私たちにとってヒーロー、神です。

私の転職、夫の地方転勤、コロナ 

ある日何気なくネットを見ていたら希望していた分野の求人を見つけました。応募したらラッキーなことに合格しました。それまで勤めていた職場を3月で退職し、4月から新しい職場で勤務・・・と思っていたら、コロナ。新しい職場には出向くことなくオンラインレッスンを行うことになりました。

同じぐらいのタイミングで夫は地方に転勤になり、私も後から合流しました。

合流できたのも、コロナで在宅勤務、どこにいてもレッスンが提供できる環境だったからです。もしあのタイミングで転職していなかったら、合流は難しかったでしょう。その職場での在宅勤務は今でも続いています。コロナ禍でも在宅で仕事をさせていただけるなんて本当にラッキー。感謝です。

夫の病、そして転職 

夫は転勤先の職場が合わず、ストレスで心を病んでしまいました。

そして転職を決断。知り合いの紹介ですぐに新しい転職先が決まり、地方の転勤先から住み慣れた関東に戻って、今では前よりいい環境と条件で元気に仕事をしています。

ストレスによる病、コロナ禍での転職は私にとってはドキドキしっぱなしでしたが、夫は夫で「そうするしか自分を守る道がない」状態でした。そして夫が弱り悩んでいたあのときに一緒にいられる状況(在宅勤務でどこからでもレッスン可能)で本当によかったと思います。別々だったら支えることができませんでしたから。

ふたを開けてみたら、夫の転職はいいことだらけでした。

 

とこのようにここ10年ぐらいのあいだに起こった大きな出来事を見てみても、一見悪いことのように思えることも後から振り返ればいいことの先駆けで、やっぱり私はついているしラッキーとしか思えません。

気づけば人生ラッキーだらけ

思えば生まれてこの方、私の人生はラッキーだらけです。

わたしはくじ運はないと自負しておりますが、今は「親ガチャ」ということばがあるようですが、私は日本人の両親の元に生まれ育ててもらったこと、本当に運がよかったと思っています。

ほかにも

自然いっぱいのちょっと不便な田舎で育ったこと

祖父母とも一緒に住んで育ててもらったこと

歳の近い妹弟、いとこ、近所の友だちがいて一緒に育ったこと

家族からも親戚からも近所のおじちゃんおばちゃんからも、たーくさん愛情をもらい、かわいがってもらったこと

好きなことを好きなようにやらせてもらえたこと

手に負えない私のわがままを辛抱強く受け止めてくれたこと

受験、就職、転職、いろいろな試験を受けて合格したこと、逆に不合格になったこと

自分の人生の決断が自分でできたこと

海外で働けたこと

貴重な経験ができたこと

たくさん失敗できたこと

いろんな人に出会えたこと

気のおけない友人に出会えたこと

夫に出会えたこと

ヨガに出会えたこと

生徒さんに出会えたこと

今、夫にも私にも仕事があるということ

今、生活するのに十分なお金があるということ

今、こうしてブログを書いて表現できるということ

今、病気にならず元気だということ

おいしく食事ができるということ

住むところがあるということ

今日も何事もなく無事に生き延びられたということ

人間であるということ

今、生きているということ

今、生かされているということ

 

本当に本当に全てがラッキーで、すべてが奇跡。

自分の力だけで成しえたことなんかほんのわずかで、私の人生ほとんどが運、「なるようになっている」「生かされている」そう思うと感謝しかありません。

まとめ

ラッキーかラッキーじゃないかは要は捉え方、何をどう見るかの違いだけなのでしょう。

ヨガ八支則の「ニヤマ(勧戒)」の5つ目に「神への献身(イシュワラ・プラニダーナ)」があります。

参考記事→ヨガ八支則step2「ニヤマ」その⑤「神への献身(イシュワラ・プラニダーナ)」とは

頭ではごちゃごちゃ考えても、心が、直観が「go!」と言っているとき、本能的にその道しか見えないときってあります。また、状況がそうせざるを得なくするときもあります。そんなときは黙ってそれに従う、身を委ねた方が結果的にいい方に向かうように思います。

「逃げろ」と本能が言うならば逃げればいい

「まだいける」という 言うならば 信じてやってみてもいい

心の声に従った方が、自分一人で頑張るよりもずっと気持ち的に生きやすいと思うのですが。

「自分の力で生きている」と力むのをやめ、宇宙の神(ブラフマン)が作る状況と、自分の内なる神(アートマン)の声である直観を信じ、力を抜いて「なるようになる」「自分は生かされている」と思ってみたらどうでしょう。

すると本当に結果的にラッキーなことばかり起きていることに気づけます。

自分は、生きとし生けるものはみな、偉大な宇宙に愛されていると気づけます。

 

私たちは自分のフィルターを通して見た世界しか「世界」と認識できません。

結局はどんなフィルターを使って、何をどう見るか、ラッキーかどうかも、自分次第なんですよね。

みなさんは、ラッキーですか?

 

この記事が参考になったら嬉しいです。

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