「意識がこの現実を見せている」「自分の意識状態しか体験できない」と目覚めてから、今まで常識だと思っていたことがガラガラと崩れ、世界の見え方が180℃変わってしまって、戸惑っています。
「え?じゃあこれは?これは?」といろいろわからないことが出てきて、いよいよ訳が分からなくなってきました。
自分以外は違う世界を見ている?
自分の潜在意識が投影されたのがこの世界で、自分はその中に主人公として登場して体験しているとしたら、この世界に出てくる登場人物たち、すれ違う人や、同僚や、ここにはいない家族や友人、隣にいる夫はどうなのでしょうか?
自分の意識が作ったのなら、この世界にいるのは自分一人だけってこと?会話を交わし、予想もしない返事が返ってきても、それも自分の意識が作り出したということ?
わかりやすく言えば、「参加者自分だけの自作自演リアル3D/RPGゲーム」ってこと?
もしくはこれまでのように自分とは別に他人が存在しているとして、その人はその人の意識を持っているので、それぞれ違った世界を見ているということになるわけで、その場合、例えば「わたし」の世界に登場する脇役Aさんと、Aさんの世界に登場する「わたし」は別物ということ?例えば交わした会話や社会で起きているとされる出来事、一緒にした経験は共有されているのでしょうか。→これはそれぞれの意識が主体的に見ている世界は別々であっても不思議と整合性が取れてしまうそうです。まさに神のなせる業!
さらにさらに、それぞれの意識の「本体」はどこにあるのでしょう。自分の内側の脳?自分の外側の宇宙?
・・・という疑問に対して、こんなのを見つけました。
3次元の物質や肉体すらも幻想?
量子力学の世界では、全ては波動(エネルギー)でできており、意識が向くまで素粒子は波のひもで観測できないが、意識が向いて観察されるとき粒となって物質化する、と言われています。
ということは、真っ暗な中懐中電灯を灯したときのように、今自分が見ているからそこに現れ、今触っているからそれがその質感で感じられるわけで、私の背後にあるテーブルやタオルは、見られないしさわれないから形として存在していない、ってこと?
極論、私はこの肉体の五感を使って見たり聞いたり触ったりすることでこの世界を自分の外に広がるリアルだ、と思っているけれど、それすら脳の電気信号=電子=素粒子ってことだから、この肉体すら怪しくないか?と。意識が作り出したこの3D世界、この肉体も、そこから感じる感覚も、意識が「ある」と思わせている可能性もある?
・・・という疑問に対して、こんなのを見つけました。
「死」も幻想?
えー!?登場人物も、自分の肉体(物質)さえも幻想だとしたら、「死」もないってこと?今人間として肉体を持って体験していると感じている人生が終わったら、また意識だけの世界(たぶん集合意識)に戻る、それだけってこと?
「誕生」の「誕」という字は「誕(いつわ)る、うそをつく」という意味があるらしい。つまり、「誕生日」は偽物の生が始まった日という意味。生まれて、成長して、年取って、死ぬという人生体験ゲーム。体験が終わったら、つまり死んだら、やっと目覚める。うそじゃない姿=意識だけの状態に戻る。「みんな~、ただいまー!人生ゲーム楽しんできたよ~」って感じ?
・・・という疑問に対して、こんなのを見つけました。
この考え方だと、死が怖くなくなります。そもそも肉体(物質)として存在していなかったんだから。今現在も、夢(幻想)を見ているだけだから。亡くなった人も、今の「人生ゲームをやっている」私からは見えないだけで、意識としてずっと存在し続けているってことだから。
集合意識
話は戻りますが、「私が体験しているこの世界」と、「あなたが体験しているその世界」に共通した認識、例えば宇宙や歴史や地球温暖化や地震や戦争、それらがあるとするならば、それは「集合意識」からの情報だとすれば腑に落ちます。「集合意識」はそれぞれの潜在意識のさらに奥深くにある、これまでのすべての情報が集約された共通意識だそう。自分は自分の世界しかわからないから確認のしようがないけれど。
最後に
まだよくわかったわけではないし、想像の域を出ませんが、スピリチュアルで言われていたこと、それから物理学で言われていたこと、両方が一つになった感じがします。点が線でつながった感じ。
現に新たに湧いてきた疑問に対して、科学の側から答えとなる情報が見つかりました。
行きつく先は一つ。
なんかすごくスッキリして、モヤモヤが晴れた感じがします。
私の知識とボキャブラリーではうまく説明できないことばかりだけれど、覚醒したばかりのわたしが感じること、思ったこと、体験したことを、これからも私なりの言葉で記録していこうと思います。