【瞑想】謝罪をする・受け入れる

みなさんは、自分が好きですか?嫌いですか?

嫌いな人はどうしてでしょうか?

自分を否定していませんか?

 

私は毎日瞑想を行っています。(習慣になっているので、しないと気持ち悪い)

いつもは思考を停止して頭空っぽにする瞑想をしているのですが、今日はなぜかいつもと違った瞑想になりました。私もなかなか自分が好きになれなかったのですが、今日はその原因と解決策がわかったので、それを記事にしたいと思います

瞑想中に唱える文言

私は瞑想をするときいつのころからか唱えるようになった文言があります。

それは、ハワイのホ・オポノポノの教えで

  • ありがとう
  • ごめんなさい
  • 許してください
  • 愛しています

という言葉を唱えるというもの。心の中でもいいし、できるなら口に出して(もごもごでもOK)、何回も繰り返し唱えることによって心が浄化されるというものです。何も感謝するものがなくても、何も謝ることが思いつかなくても、何も考えないでただ唱えていればOK。

いつもはこれを唱えているうちに、いつの間にか唱えていることや言葉を忘れ、頭が空っぽになって光を感じる、それを眺める・・・という感じになります。

今日もいつものように、この4つの言葉を繰り返し唱えていたら、なぜかやたらと「ごめんなさい、許してください」に引っかかりました。私は何かに対して謝りたいようなのです。ですから今日はここを突き詰めてみることにしました。

謝りたかったこと

「ごめんなさい、許してください」と唱えていると、次々に謝りたい対象が浮かび上がりました。

これまでの人生できつい言葉や優しさに欠ける態度で傷つけてしまった人たち(友人、家族など)

いじめたり、お世話をさぼったり、時には命を奪ってしまった生き物(虫、植物、牛、豚、ペットなど)

これまで捨て活してきた「モノ生」をまっとうできなかったたくさんのモノたち

そして環境や生態系の破壊に知らず知らずのうちに加担し、汚してしまった地球

 

それはそれは次々と浮かび上がりました。思い浮かぶたび「ごめんなさい、許してください」を繰り返し、姿が見えなくなるまで唱え続けました。姿が見えなくなるたび、心につかえていた固まりが少しずつなくなって軽くなるのを感じました。

「ダメ」じゃなくて「いい」

いろいろなものに一通り謝罪し許しをもらったあと、最後に残ったのは自分でした。

今まで「そんなんじゃダメ、こういうところが嫌い」と否定の言葉を浴びせ続けてきた自分(インナー・チャイルド)

するとなんかメッセージのようなものを受け取りました。

「~しなくちゃダメ」「~してはダメ」「それはダメ」と「ダメダメ」言われて否定されるのはつらいから、これからは「~てもいい」「~しなくてもいい」「~したらいい」「OK」と受け入れる言葉を使ってくれると心地よくなってうれしい、と。

確かに親がこどもに野菜を食べさせたいとき、「野菜を食べなくちゃダメだよ」という場合と「野菜は食べたほうがいいよ」という場合があると思います。求めるものは同じ「野菜を食べてほしい」なのですが、前者は否定形を使ってそれ以外許されない感じがし、後者はいろいろ選択肢がある中の一つで選ばない自由も残されている感じがします。受け取る子供はどちらの方が息苦しさがないでしょうか?おそらく後者ではないでしょうか。大人も「~しなければならない」「~しなくちゃダメ」「それはダメ」と言われると、否定されてる感、押しつけがましさや義務感、それができなければ理想的ではない人、ダメ人間、みたいに受け取れてしまいます。例えば「片付けなければならない」を「片づけた方がいい(けど、今無理だったらそういう気分になるまで待ってもいい)」みたいな感じで、自分を信じて許可、OKを出してあげると、それまで卑屈になって小さくなっていたインナーチャイルドの緊張がふっと解けます。

私は私から「ダメ」(否定)じゃなくて「いい」(許可)がほしかったんです。

そう言われてみれば、夫にも同じことを言われたことがあります。「受け入れてもらえるだけで頑張れるのに」と。無意識のうちに「〜ダメ、ダメ」言っていたのでしょう。

自分以外の人に対して発した言葉も自分は聞いています。意識は自と他、現実と妄想を区別しないといいます。人に向けて発した否定が全部自分に返ってきていたんですね。そりゃしんどいはずです。

いつの間にか否定の言葉を使うクセがついていて、存在しない理想を押し付けて、私の「あるがまま」を受け入れていなかった。自分で自分を「ダメ、ダメ」と否定していたから、自分が好きではなく、自己価値、自己肯定感が低かったんだと気づきました。

まとめ

私たちはだれも完ぺきではありません。でこぼこしています。そのでこぼこが「個性」なんですよね。

「個性」があるから、みんな違って、みんないいんですよね。

私は私の個性を見ていませんでした。完璧じゃないのに、ありもしない空想の完璧を自分に押し付けて、そうできない自分を「ダメな私」と否定していました。

これじゃ、自分を好きになれるわけがなかったんです。

これからはもっと自分に意識を向け、「あるがまま」の自分を認め、「いいよ~」「OKだよ~」という言葉をたくさんかけて、受け入れてあげようと思います。これから自分に対して、否定的でネガティブな言葉はかけません!

瞑想が終わったら、ものすごい時間がたっていてびっくりしましたが、胸の真ん中がほんのり軽く、温かくなっているのを感じました。そして、謝れた自分を尊敬でき、前より自分が愛おしくなりました。

 

この記事がお役に立てたら嬉しいです。

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