【捨て活・瞑想】2021秋の捨て活(冠婚葬祭関連用品、マニキュア)

捨て活・使い切る

先日の記事で「自分軸」がようやく見えてきたことについて書きましたが、「今の私に必要ない物」を物色してみたら、もうお別れしてもいい物が出てきました。

参考記事→【捨て活・瞑想】モノを捨ててもモヤモヤは消えない。手探りで見つけた「自分軸」

さんざん物を手放してきて、なかなか捨てられないと自覚がある本や教材関係以外はだいぶ持ち物は少なくなったと思っていたのに、まだまだありました。

今日はそられらの物と、そこから見えてきた自分の心について記したいと思います。

①布製サンダル

布製なので葬儀用に使えると思い、ずっと箱に入れてとっていました。お葬式用の物って、出番が限られている割に急に必要になるのでとにかく放置、キープしてしまいがちです。でも、今回久しぶりに箱を開けてみて、ふと我に返りました。

「お葬式につま先の開いたサンダル履くか?」・・・No!

しかも包んであった新聞の日付を見てびっくり。なんと1998年、今から23年も前!

状態をチェックしたところ、中敷きがベロンと簡単にはがれてしまいましたww。

どう考えてみても、このサンダルはキープしておく必要のないモノでした。もし今必要になっても 中敷きベロンじゃ履けやしない。「冠婚葬祭関係の物はいつか使うからとっておく」という完全なる思い込み、判断留保のせいで、これまでの捨て活を免れてきたわけです。怖くなって、20代のころに買ってやはりそのままキープしていた喪服(これは実家の洋服ダンスにしまってあったものを先日引きとってきたもの)もチェックしてみました。ベルトの裏側のコーティングが劣化してはがれていました ww 。喪服を恐る恐る着てみましたが、幸い服自体もサイズも大丈夫でした。今回は日々のヨガのおかげでサイズアウトしていませんでしたが、これももし入らなかったらキープしてただけムダということに。

冠婚葬祭関係用品に関しては、チェックもせず無条件に「キープ」としていましたが、それが間違いでした。諸行無常。年齢も状態も変わります。そもそもそんなに出番がないものを所有・保管するのは、お金と空間と手間がもったいない!今は昔と違ってレンタルサービスがあって、すぐに届けてくれるらしいので、それを利用しようと思い至りました。

②タイツ

これも冠婚葬祭系で無条件にキープしていた物。私は普段はスカートを履きません。おそらく数年前に結婚式か何かで1回履いたきり、もったいなくて、もしくは冬にズボンの下に履いて「使い切ろう」と思って、とっておいたのだと思います。しかしやはり履きません。今持っているもので十分賄えています。次にスカートを履く機会がいつなのかわかりませんし、それまでとっておいても劣化していると思います。お掃除に使ってサヨナラします。

③ヘアピン

これも冠婚葬祭系です。友達や美容院にヘアアレンジしてもらって、またの機会に使おうととっておいたら膨大な量に。何本かは錆びてました。そもそも普段ヘアピン使いませんし、数本もあれば十分。なんとか活用できないかとも思い調べましたが、用途ナシ。なので数本残してあとは手放します。

④ファンデーションとケース

肌断食するようになって、お肌がキレイになったし負担をかけたくないので化粧をしなくなりました。では、なんで持っていたか?鏡はたまに使っていて持ち運びに便利だから。でも、鏡ならうちにも外出先にもありますし、携帯用の小さい鏡も持っています。それでも、なんで持っていたか?・・・はて、なんででしょう?分かりません。

これも判断留保でした。一応使っているモノだからと言い訳していただけ。

⑤マニキュア(ポリッシュ)

以前は20、30本持っていましたが、捨て活して、今は2本だけ。ヨガで裸足になったとき、夏にサンダル履いたときのペディキュア用です。でも、コロナになって外出する機会が減り、スタジオに出かけてヨガレッスンを受ける機会が減り、もっぱらおうちヨガばかり。そして、気がつきました。

ペディキュアしないと、ラク。そして爪が元気。

マニキュアやペディキュアを好きで楽しめる人ならいいと思うんです。でも、私は違いました。塗るのが下手でいつもはみ出すし、それを拭きとっている時にキレイに濡れたペディキュアに触ってしまってまたやり直したり。そんななので塗る時間はかかるわ、乾く時間はかかるわ、とてもストレスフルなのです。しかも数週間たてば爪が伸びて塗られていない根元があらわれるし、剥げてもくるし、それを修正するのも、塗り直すのも面倒でした。じゃあ、なんで塗っていたか?明らかに他人の目を気にして「塗っていた方がオシャレに見える」「キチンとお手入れしている人に見える」とかっこつけたくて、よく思われたくてやっていたのです。自分が好きで楽しむためじゃなく、「人からどう思われるか」を気にしてペディキュアを塗っていた。だれも私の足なんか気にしていないし、もし「あら、足に何もしていないわね、ズボラ~」と思われたところでなんだというのでしょう。人がどう思うかなんて私に分かるわけがないし、コントロールもできないし、それで私の価値や何かが変わるわけではないのに。その事実に、ようやく気がつくことができました。

もう大丈夫。マニキュアとお別れする決心がつきました。マニキュアと一緒に、除光液、〇〇コート、足の指を広げるもの、コットン、それらを入れていた箱、ぜんぶ手放せます。

マニキュアは捨てるのも大変なんですよね。中身は布や新聞紙などに浸み込ませて燃えるゴミ、瓶の中もキレイにして燃えないゴミ、キャップとはけも別々に分解して捨てます。それらを危険なにおいの中やるわけです。

トータルで考えて、やはりめんどくさがりの私にはもうマニキュアは必要ないです。

まとめ

思考の習慣といいますか、当たり前のようにそう思っていると気がつかないものですね。

私は今回冠婚葬祭関係の物から「とっておいて当たり前」の判断留保は危険な事、それからマニキュアから「その行為は自分が好きでやっているのか、他人の目を気にしてやっているのか」を気づかされました。

きっとほかにも「他人によく思われたい、カッコつけたい」と本当の自分を隠そうと無意識でやっていることはたくさんあると思うんです。まだまだ鎧をまとって武装して、本当のダサくてカッコ悪い自分を隠そうとしていました。これからきちんと自分の心に焦点を合わせて、大元にある感情や気持ちが「自分軸」かどうか、嘘偽りない「素の自分」であるかどうかをきちんとみつめるようにしていきたいと思います。

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