私が断食→不食を始めたワケ。一度極端に降り切れてからの中庸

私が断食を始めたのは思い返せば今から約5年前。そこから無添加食材や腸活へと意識が向き、一日一食生活になり、今では不食の方へゆっくりと歩みを進めています。今日は私が断食を始めたきっかけと、最近不食(食生活)について思うことについて記事にしたいと思います。

私が断食を始めたきっかけ

それは体質改善とデトックス(毒出し)が目的でした。当時私は妊活中で、子宮筋腫がいくつかありました。中には位置的にも大きさ的にも着床の邪魔になるものがあったようです。病院の先生には、妊娠を望むなら手術して筋腫を取った方がいいと言われたので、筋腫を取ったら妊娠できるのかと聞くと、表面の出っ張りを取るだけで筋膜内にはまだ筋腫が残っているからなんとも言えない、と言われました。つまり、手術して筋腫を取っても完治するわけではないので、妊娠できるかどうかはわからないということ。しかも、仮に妊娠できたとしてもその後のホルモンの影響でまた筋腫が成長することもあり得ると。

だったらもっと根本的な、筋腫を小さくする方法はないかといろいろ情報を探しました。そして見つけたのが断食でした。定期的な断食をくり返すことで、子宮筋腫はもちろんのこと、難病やガンさえも治ったという事例を知り、こちらを採用することにしました。不妊治療もしていましたが、併せて漢方も取り入れてとにかく体質改善に取り組みました。

筋腫ができた原因を考えてみた

子宮筋腫は実は30代以上の女性の3,4人に1人に見られるもので、そんなに珍しくはありません。それによって命を落とすわけでもない、いわば子宮にできた良性のこぶです。できる原因は一般的には不明とされていますが、私は以下のように考察しました。

  • 遺伝
  • 食生活
  • ストレス
  • 女性性の否定

遺伝

まず、母が子宮筋腫を持っていました。私たち子供3人を出産後、筋腫からの出血がひどく常に貧血を起こしていたので子宮摘出手術を受けて取っています。だから遺伝の可能性はあるかもしれません。

食生活・ストレス

しかし遺伝よりも何よりも、実際に自分の体に影響を与えているのは日々の生活だと考えます。それは食べ物であり、ストレスです。

若いころの私の食生活はメチャメチャでした。お酒もよく飲んだし(今でもですが)、自炊はする方でしたが、食費はできるだけ抑えたかったので、インスタントラーメンなどの安い加工食品や添加物がふんだんに使われた調味料で味付けしたものを食べてお腹を満たしていました。特に海外で生活するようになってからはストレスもハンパなく、大量に入った激安食パンなどを買って食べていました。この食パン、2週間たってもカビが生えないんです。今思えば相当怖い代物ですよね・・・。急かされるように、欲望の赴くままに、お腹いっぱいなるまで食べて飲んでいました。

それら大量に取り込んだ添加物などの毒素やストレスなどのネガティブ物質が、体の中で生命維持に一番関係ないところ=生殖器官=子宮に集積され、筋腫として現れたのではないかと思っています。良性なだけむしろありがたいのかもしれません。

女性性の否定

若いころ、沢木幸太郎さんの『深夜特急』が大沢たかおさん主演でドラマ化されたものが大好きで、いつかああいうバックパック一つで世界一周旅行がしてみたいと憧れていました。でも、女性一人で危険な国や地域に行く勇気もなく、「なんで私は女なんだろう。男だったらよかったのに」と何度自分が女性であることを恨んだかわかりません。

そして、曲がりなりにも海外で仕事ができるチャンスをいただけるようになると、今度は「男性に負けないように」「女だからと舐められないように」と、そこでまた男性と張り合うようにギラギラと、ある意味戦闘モードで仕事をするようになりました。キャリアや実績を積むために毎日必死で、女性特有の柔らかさや優しさのようなものは全くありませんでした。

あの頃私が自分に言い聞かせていた「なんで女なんかに生まれてきたんだ」「男だったらよかったのに」という呪いの言葉が自分を洗脳し、自分の女性性を否定したことで、その願いを聞き届けてくれた神様(アートマン)が「そんなに女性でいるのがイヤなんだね、わかった」と、子どもができにくい体にすることで願いを叶えてくれたのかもしれません。意識の力って、強いって言いますからね。

断食で得られた予想外の結果

話がずいぶん脱線してしまいました。

結論から言うと、今でも筋腫はなくなってはいませんし、もうプレ更年期の症状が出始めてしまったので、こどもはもうとっくにあきらめました。不妊治療で何度か着床はしたものの継続することができず、今後のことを夫婦で話し合ったとき、私も夫もそれほど子供に執着はないとわかったのはよかったです。社会的、年齢的なことが気になって焦っていただけなのかもしれません。世の中の「ふつう」という基準に勝手に合わせようとしていました。自分で自分の首絞めてました。それからは、夫婦二人仲良く、できるだけ長く一緒に生きていければいいか、と思えるようになりました。

第一の目的は達成できませんでしたが、実はそれ以外に嬉しい結果が得られました。

断食を数回繰り返すうちに、30年以上患っていた花粉症が治ったのです!もちろん体重も減って肌の調子もよくなって見た目若返りましたし、便秘解消、免疫力アップで風邪もひかなくなりました。

断食してサーチュイン遺伝子活性化で若返り、オートファジースイッチオンで体内大掃除、断食後のスッキリ大根でデトックス、そしてここまでくると体内に悪いものをもうできるだけ取り入れたくなくなるんですよね。そして胃も小さくなっているから自然と食が細くなり、一日一食で十分という風に自然に無理なく変わることができました。

不食を目指すようになったのは、食べなくても生きている人たちがいることを知ったからです。その人たちが書いた本を読むと、食べないでいることの気持ちよさはやった人にしかわからないとか、普段はオフになっているDNAのスイッチがオンになり超能力が発動されるとか、興味がそそられることばかり。ヨガの最終境地「サマーディ」を目指していることもあり「私も体験してみたい!」と思いました。微食にまではなれたのだから、このまま進めばいつか不食(リキッダリアン、ブレザリアン)になれて、わたしもいつかサマーディに到達できるかもしれないと。

「無添加」「少食」への執着

しかしここでエゴの罠に引っかかることになります。断食してせっかくキレイになった体を維持したいという欲求が生まれ、極端に走りすぎるようになりました。とにかく「体に悪いもの」を避けるようになってしまったのです。外食せざるを得ないときは無添加・ベジタリアンのお店を探し、それらが近くにないときはメニューの食材をできるだけ細かくチェック。なかなかお店や食べるものが決まらず夫をうんざりさせていたと思います。スーパーに買い物に行ってもいちいち裏の成分表示をチェックするようになったので、買いたいものが買えない、やっと見つけたがすごく値段が高い、スーパーを何件も回らなければならない、結局自分で作るしかない→手間ひまかかる、食べたいものがすぐに食べられない、ということに陥りました。つまり、かなりめんどくさい、わずらわしい、ストレス・・・。

そして「一日一食」や「少食」も「絶対守らなければならないルール」のようになってしまい、時に食べ過ぎてしまったりしたときは自分を責めるようになってしまいました。

極端に走ってからの「まあ、いいや」

体にいいことがたくさんあるし、体がラクで気持ちいいから、自然と「無添加」「少食」に変わってきたのに、いつしかそれが自分を苦しめる執着へと変わっていることに気が付きました。

体の細胞が正常に機能し免疫力が上がった今、たまに少量の添加物や体に悪いものを食べてしまったところでそれらは体内には吸収されず不要なモノとしてきちんと処理、排泄されるそうです。実際お酒を飲んだ後に〆のラーメンが食べたくなってカップラーメン食べたら、食べ終わった後気持ち悪くなって吐いてしまったことがあります。下痢をする人もいるそうです。ここまできたらもう元の食生活に戻ることはないだろうし、自分の体を信じていいんじゃないでしょうか。

食べる量だって、人間だから無性に食欲が湧くときもあります。そんなときは食べたらいい。お付き合いの食事も大切ですから、そんなときぐらいは楽しんだらいい、と思うようになりました。普段一日一食の少食や微食を続けているなら、そんなのは長い時間のほんの一時。無理にたくさん食べる必要はないし、無理に少食や不食を貫く必要もないのです。食べ過ぎたら体がちゃんと「不快だよ」と教えてくれます。ましてや家族や友人との食事会で「これは添加物まみれじゃないか?」「わたし、食べない主義なんで」とこだわることで楽しい気分がパーになるなら、もうそんなこだわりはなくしてしまった方が自分がラクでハッピーなんじゃないかと考え方を変えました。

食べる量だって、どうせ一日3食(食べ過ぎ)をずっと続けられる体ではもうないのだから、安心して?食べようと。

何事も中庸(どちらでもない真ん中)がいちばんバランスが取れていてラクちんです。

最後に

久米島旅行が終わってからまた不食(微食)生活に戻っていますが、やっぱり気持ちと体がラクです。買い物行かなきゃいけない、メニュー考えてゴハンを作らなきゃいけない、食べなきゃいけない、消化しなきゃいけないなどの様々なプレッシャーから解放されて、ラクちんです。

今は日中はほぼ飲み物のみ、夜に夫と梨を半分ずつ食べています。(夫は朝ヨーグルトとコーヒー、昼は私が週末作り置きしたお弁当を持って行って食べています)

たまにお酒飲んだり、食べたくなったら食べたりして、それもよし。

「こうしろ」も「これダメ」もない食生活。

いつか完全な不食者になれたらいいなとは思うけど、なれなかったとしてもそれもよし、と最近は思えるようになりました。

でももし完全な不食者になれたとしたら、どんな気分なのか、どんな生活を送るのか、想像できなさすぎてワクワクします。

少食夫婦、老後になっても心も体も元気で、できるだけ長く一緒に過ごせたらサイコーです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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