恐怖に襲われること、ありませんか?
実は私は毎日のように恐怖に襲われます。
それは瞑想や不食を始める前の恐怖とは、ちょっと違っています。
それはどんな恐怖か、どうしてそれは起こるか、恐怖を感じたときどうするかについて記事にしたいと思います。
恐怖はガン無視していた
以前も恐怖はありましたが、直視するのが怖くていつもほかの何かに意識を向けることで見ないようにしてきました。いろいろな生活の雑事、仕事、勉強、人間関係、情報、娯楽などなど、現代社会は恐怖を見ないようにするためのツールがたくさんあります。実はそんなに大切じゃないことに夢中になって、忙しくして、無視してきました。
それを直視する勇気がありませんでした。それを知ったら生きていけなくなる、足がすくんで立てなくなってしまう、泣き崩れてしまう、恐怖を知るのが怖い!
だから毎日、毎瞬、忙しく意識を働かせていました。
しかしヨガと出会って、自分の体と心と向き合う時間が増えるにつれてそうはいかなくなってきました。
毎日襲ってくる恐怖
持ち物を減らし、生活をシンプルにし、一人で黙々掃除やヨガや瞑想をしていたら、それで満足するようになりました。生活が小さくなって、生きるために必要なお金はそんなにたくさんいらないことがわかったので、お金を稼ぐための(実は本当はしたくない)仕事は最低限だけに減らしました。そして今や食べることさえも生きるために必ず必要なモノではなくなってきて、いよいよどんな状況になってもそれなりに生きていけるだろうという安心感と時間が増えました。
すると、「いったい私はなんのために生きているのか?」という恐怖が生まれてきました。
ほとんどの人がお金を稼ぐために働き、高齢者も田んぼで稲を作ったり畑で農作物を作ったりして、ホームレスでさえも食べるための営みを何かしらして生きているのに、私は?
だからといって、以前のようにやりたくないことや必要ないこと・モノにエネルギーを費やせるほど、心の声を無視できなくなっています。じゃあ何かやりたいことがあるのかと言われたら何も思い浮かばないし、ただ一人うちの中で、特に社会に役立つわけでもなく、淡々と生きて(生かされて)いる・・・。
生きている意味がないのでは?
この生活に不満はないし、幸せは感じているけど、このままでいいのか?
いっそ、今日はどこで何食べようかと悩み、何を買おうかと悩み、人間関係で悩み、ネットやテレビの情報に操られてお金のために忙しく働いていたあの頃の方が幸せだったのかもしれないと、ちらっと思うことさえあります。
この恐怖が起こる源
だいたいこの恐怖が起こるときはまず、「こんな自分ではいけない」というような自己否定があります。「社会や家族のために貢献できる人がいい人、そうじゃない人はダメな人」という自分の中にある価値観。「やりたいことがないのはダメなコト」という価値観。
それから、「自信がない」ということも関係しています。「自信がない」とは「自分を信じられない」ということ。「自分を信じる」の「自分」とは「アートマン(真我)」のこと。アートマンとは宇宙を作った理(ブラフマン)の一部で、自分の中にある分け御霊=神様のこと。つまり「自分を信じる」の本当の意味は「宇宙を信じる」ということになります。自分の中の神様=アートマン(真我)を信じるということは、これまでエゴが握ってきた(と思い込んでいる)人生のコントロール権を手放し、流れに身を委ねるということ。「これからどんなことが起こっても、それはそうなるようになっていた」と信じることです。
恐怖が起こったらすること
まずはちゃんと恐怖と向き合うために、静かな場所に座って目を閉じます。そして次々に湧いてくるあれやこれやの恐怖と、それがいかに恐ろしいかについての訴えにどっぷり浸かります。
次に、もうだいたい吐き出されたと思ったら、そんなおびえている私を「かわいいやつめ!」と思ってギューッと心の中でハグします。そうすると、ちょっとずつ落ち着きを取り戻してきます。
それから「こんな自分ではいけない」と思っているその自己否定を解放するために「このままのわたしでもいいんだよ。誰の役に立たなくても生きていていい。だって体は、世界は、今日も私を生かそうとしてくれている。殺さなかった。それは生きていていいってこと。今は生きている意味や目的が分からなくてもいい。それは死ぬときになってわかるかもしれないから。なんなら意味や目的がなくてもいい。何をしても、しなくても、私は私。私の価値は変わらない」このようなことを、小さい子どもの背中をさするような感じで言って聞かせます。
そして最後に「もう私(エゴ)は何も決めない。全部いらないものは捨ててきた。この人生は宇宙にお任せするって決めたよね。なるようになる。これからどんなことがおこるかわからない、どうなるかわからないってことは、逆にワクワクしない?」って感じで盛り上げます。そうすると、けっこういい感じで恐怖がなくなります。
最後に
恐怖というのは時に強烈に襲ってきます。その最たるものが死への恐怖です。だから人はそれを直視しないために必要以上に食べ、意識を忙しく働かせているのでしょう。それはエゴがそうさせているのだけれども、襲ってきたものはしょうがない。幸せにどっぷり浸かって感度が鈍くなっている私に対するスパイス的な役割もあるのかもしれません。でも、できるならできるだけ早くそこから抜け出したいので、自分なりの処理の仕方なりなだめ方なりを持っていると、どうにかこうにか飲み込まれずに短時間で済むかと思います。
ヨガ、瞑想、不食などで不要なものを手放したら、向き合わざるを得ない恐怖と対峙することになりました(苦笑)でも、これもサマーディへの前進であると信じて、「自分」を信じて、ワクワクした気持ちで一日一日を生きていければと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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