今年度の前半はシフトがたくさん入ってしまって多忙すぎて、昼夜問わず休日も仕事をしていました。忙しくてもできるだけ心の平和を保ちたかったわたしがこの間いつも気をつけていたことがあるので、今日はそれについて書こうと思います。
忙しいと不機嫌になっていた私
これまでわたしは忙しいと決まってイライラしていました。さばかなければならないタスクリストを見ては焦り、「なんでこんなにあるんだ。やってもやっても終わらないじゃんか」と不平不満を言い、思い通りに進まないことに対して「どうしてこうなるんだ?」「余計な仕事が増えた」と怒りを覚えていました。家族が何か話しかけてきたりしても余裕がないので「話しかけないで」「それぐらい自分でやって」と冷たく突き放したり、「邪魔しないで」と文句を言ったりしていました。やるべきことをすべて終えても、また翌日から待ち受けているあれやこれやに思いを巡らせてはどうやれば一番効率がいいか段取りを考えたりして、とにかく思考が仕事から離れることはありませんでした。まさに文字通り、「忙しい」ときは「心」が「亡くなる、死ぬ」、つまり最悪の気分で働いていました。
今回念頭に置いたこと
余計なお金を稼ぐためにたくさん働く必要はないということがわかって仕事を減らし、小さくていねいな暮らしをするようになって、時間と心に余裕ができるにつれてイライラすることも減り、いい気分で毎日を過ごせるようになりました。今回たくさんシフトが入ってしまって断ろうにも断れないことがわかったとき、「またイライラして心にゆとりのない生活に戻るのか」と最初は目の前真っ暗になりましたが、なんとかそれを回避したいとも思いました。
「忙しい」=「心」を「亡くす」のもう一つの意味
先ほど「忙しい」=「心」が「亡くなる、死ぬ」こと、つまり最悪の気分になること、と書きましたが、実はもう一つの解釈があるそうなんです。
小林正観さんの解釈では、「忙しい」=「心」を「亡くす」、つまり「思い・思考」を「亡くす」ことで、「いちいち考えたり判断したりしないこと」「淡々とこなすこと」だそう。
これまでの私は、山積されたこなすべき仕事を前にして、自分ではどうしようもできないことに対して不平不満に思い、愚痴や文句を口にしていました。その激しく上下にゆれる心の波が航海を難しくし、時間とエネルギーを奪い、自分を苦しめていたのです。
しかし「目の前のやるべきことを、いちいち思いを持たないで、淡々とこなす」ようにすれば、心もざわつかず、したがって波もたたずずっと凪の状態でいられ、ラクに確実に終わりへ向かって進んでいくということを発見しました。こちらの方がずっといい。「いい気分」までにはならないにしても「最悪な気分」にはなりません。
私はこの「淡々とこなす」を常に念頭に置いて仕事に当たりました。そうしたら、たしかに大変ではありましたが、当初予想したよりはずっとラクに仕事をこなすことができました。家族に当たることも以前よりは減ったと思います。夫もそう言っていたので、たぶん本当です。
関連記事→腐ったナスが教えてくれたこと
最後に
生きていれば、思い通りにならないことなんてたくさんあります。自分でコントロールできないことにいちいち不満をぶつけていても消耗するだけです。今回この「思いを持たないで淡々とこなす」というワザを知り実践できたことは、私にとってとても貴重な経験となりました。
そしてこの「思いを持たないで淡々とこなす」ワザは、何も仕事に限ったことだけではなく、生活のあらゆる面にも使えるかと。自分にとって都合の悪いこと(例えばやりたくないことをやらなければならないときなど)はもちろん、自分にとって嬉しくてたまらないこと(例えば好きな有名人に会えたときなど)も、興奮しすぎて何も覚えていないという事態を避けられるかもしれません。夢のような幸せな時間なら、しっかり思い出として心に刻みたいですものね。
「思いを持たないで淡々とこなす」、これからもいろいろな場面で使っていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント