捨て活を始めて、もうかれこれ10年近くたとうとしています。
お別れした物を挙げたらそれこそキリがありません。
物は今の住処にあるだけ、実家にももう何も残っていません。
参考記事→実家の私物ゼロに
確かにモノが減ったことによって、以前よりは部屋が広く使えるようになったし、管理もラクになったし、貯まるお金も増えました。
じゃあ、よく聞くように「ココロもスッキリ、自分が好きなモノだけに囲まれて生きられるようになった!」かというと、全然そんなことはありません。むしろグラグラしています。今日はそんな捨て活しまくった私のリアルを書きたいと思います。
他の人と違う軸で生きるということ
ヨガ的生活をするまでは、テレビや雑誌やネットで「これがいい」「これが流行っている」「これが便利」「これがお得」と騒がれているモノやサービスなどをそのまま受け止めて従っていればよかったので、ある意味ラクでした。
ヨガ的生活をするようになって捨て活真っ最中も、ミニマリストとかインフルエンサーと呼ばれる人たちの投稿やおススメのものにのっかって、「妥協しないでちょっとお値段お高めでもいい物」を買ってみたり、「長く使おうと思わずに思いっきり使い倒せるコスパよしの物」を買ってみたり、「モノはデータ化して実物手放す」と聞いてやってみたり、「モノは出さずに収納して見た目スッキリ」と聞いてやってみたり、それでなんとなくOKでした。結局ここでも誰かの意見やポリシーに従っていただけでした。
そしてあるとき「でも、やっぱりなんか違う」と納得いっていない自分に気づいてしまったのです。
そうなると、もう、頼れるものは何もありません。他の人に尋ねても、情報を検索しても、答えは正解は見つかりません。自分の中を探すしかないのですが、これがなかなか簡単には見つからない。辛く苦しい日々の始まりでした。
結局依存先を変えただけで同じことでした。問題はモノではなく、私の心、自立していない心、依存心、怠け心にあったのです。
まだモノにとらわれている自分
ある程度モノが減ったら、必要なモノしか持たなくなったら、もう悩みからおさらばできると思っていました。でも、現実は違っていました。
捨て活していたころの爽快感、前進していると信じられていたあの感覚を求めてなのか、まだ捨てるべきものはないかとウロウロ探し始めます。「捨て活」をしていないと落ち着かない。形が変わっただけで、結局モノに支配されていることは同じです。そして候補は出てくるけどなかなか捨てられず、そんな自分が嫌になったりします。
自信がなくて、不安でしかたがないのです。
たとえば服。ミニマリストはお気に入りを数着しか持っていないというけれど、私は部屋着と仕事着別々に持っていて、合わせて10着以上あるけど、テレワークの今、着ない服は捨てたほうがいいのか?そもそも私はこの服たちが好きなのか?とか、色が褪せてきたけどまだ着られる服は、見苦しいから捨てる?それとももう着られないってなるまで着る?とか
たとえばPCのデータ。実物は手放してなくなったけど、データはたまりまくってる。これでいいんだろうか?捨てるにしても、どの程度まで捨てたらいいのか、捨てすぎて後悔したりしないだろうか、とか
たとえば「捨てるぞ!」と決心した語学教材。中を見たら忘れていることがたくさんあって、やっぱり捨てられなかった、とか
たとえば人間関係。もうおそらく連絡を取り合わないだろうと思う人がいるけど、SNSから削除できない、とか
引越ししてサイズが合わなくなった家具。「使い切る」か「手放す」かわからず、使い続けている、とか
結局、捨て活をして浮き彫りになったのは「人真似ではない私の自分軸ってなんだろう?」「自分軸が持てないでいる自分」でした。
ぼんやりと見えてきた自分軸
そうして悩みながら、それでもフラフラと、ぼんやり見えてきたものがありました。
これ以上モノは増やしたくない
買うなら捨てるときのことまで考えて、捨てづらい物は買いたくない
「お気に入りのモノだけに囲まれた生活」も憧れるけど、自分の「お気に入り」はすぐに揺らいで変わっちゃうから「まあ、いいか」ぐらいのレベルでいい
モノを買うより経験にお金を使いたい
「キッチンや洗面台に何もモノが出ていない状態」より、引き出しや棚を開けることなく簡単にアクセスできる方がいい
収納する箱も、ハンガーも、調味料入れも、同じもので統一されたものじゃなくてもいい、お金使うし、移し替えるとかめんどくさい
掃除がしやすいことが大事
オシャレ、上質、最新、流行り、じゃなくていい
ダサいと言われようが、古かろうが、安ものだろうが、モノはどうでもいい。「使い切る」もよし、「手放す」もよし。それが揺らいでもよし
捨てられないモノ(データ、人間関係、習慣)は、今はまだその時期じゃないだけ。そう思えるときまで待てばいい
そうか。やっと見えてきました。
まとめ
お金は大事、めんどうはキライ
心と体と住処が清潔で、健康で、笑ってハッピーに過ごせることが一番!
「モノにはこだわらない」、それが自分軸
まだまだフラフラして、自身がなくて、不安で仕方ない、私はかっこ悪いです。これからもやっと見つけたこのおおざっぱな自分軸が揺らぐことがあるでしょう。その時はまた見つめ直して、修正していけばいいやと思います。だって、だれに許可を得るわけでも、評価されるわけでもないのですから。
この記事がお役に立てたら嬉しいです。
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