【心】3度も私を救ってくれた心の声◆従って生きると決めました

昨日は春分の日、星座を一周して牡羊座に戻る日、宇宙の暦で元旦にあたる日でした。

通常の1月1日の元旦と同じように、1年の目標を決めました。それは

  • 心の声(=真我)を信じ、委ねること
  • 心の声(=真我)を聞き、従い、共に生きること

です。2つ書きましたが、まあ意味は同じです。

実は「捨てろ!軽くなれ!」という叫びを聞く前にも、心の声をはっきり聴いたことがあります。

今日はそれについて記事にしたいと思います。

「思いっきり吐きだせ!」

1回目は休暇で行った外国のビーチでシュノーケーリングしていたときのこと。私は泳ぎが苦手で、足がつかないところに浮き輪やライフジャケットなしではいけません。その時のビーチは遠浅だったので大丈夫だろうと思ってライフジャケットをつけないまま、私は魚を追いかけてサンゴが多くある岩場の奥の方に知らぬ間に泳いで行っていました。

泳ぐのに疲れて立ち上がろうとしたとき、足がつきません。目に映っている岩場は思ったより深いところにあったのです。焦った私はたちまちパニックに陥り、口にくわえてシュノーケルをとり、何とかして足をつこうとして体を立て力を入れました。あとで冷静に考えるとそんなことしたら余計沈みます。でもパニックの私は体の力を抜いて仰向けになることなんて全然考えられず、がばがば水を飲みました。顔を水面から出すことができず息が苦しい。次水を飲んだら肺に水が入って死んでしまうと思いました。

「もうダメかも・・・。遊びに来ていておぼれ死ぬなんて・・・」そう思ったとき、心の声が叫びました。

「シュノーケルくわえて、思いっきり吐き出せ!」

その声に私ははっと我に返りました。シュノーケルの空気口の先端部分を手で触るとたしかに水面から出ていました。私はパニクってなぜか口からとってしまったシュノーケルを再びくわえて、残っている息を全部思いっきり「ふっ!!」と吹き出しました。もう肺に息は残っていないので吸い込むのが水だけだったらどうしようと怖かったです。次に吸い込んだ時、水も多少は飲み込みましたが、空気も入ってきました。それでむせながらも何とか事なきを得て、私は足がつく場所まで泳いで無事に生還することができました。

あのとき心の声が叫んでくれなかったら、私は遠く離れた異国の海でどこぞの知らない外国人の溺死死体となって発見されていたかもしれません。

命を救われた瞬間でした。

「今はまだ死ぬときじゃないよ。まだこの世でのお役目は終わっていないんだから」

と言われたようにも思いました。

それからライフジャケットなしでシュノーケーリングはしないと誓いました。

「大丈夫だよ、安心して」

命にかかわること以外にも、心の声が聞こえたことがあります。

今から7,8年前、ある精霊の宿る南の島で瞑想レッスンを受けたときのこと。始める前に先生から「何が起きても驚かないように」と注意を受けました。参加者全員で手をつないで大きな円を作り、CDに合わせて呼吸を繰り返したのですが、途中で奇妙な声を上げたり、急にバタンと倒れるような人が出てきました。私も頭の芯がしびれ、体が私の意志ではコントロール不能になり、左腕が肩からぶんぶんと大きく回り始めたのです。「ナニコレ!何が起きてるの??」とびっくりしたのですが、同時に「大丈夫だよ、心配しないで。安心して」という心の声が聞こえました。だから驚きつつも「大丈夫」と思えてそのまま腕ががぐるぐる回るのに任せていました。

先生がやってきて、私の頭に手をのせたらすーっと力が抜けてラクになり、腕のぐるぐるも次第に止み、今度は涙があふれてきました。嗚咽して声を上げて大泣きしました。きちんと確認したわけではありませんが、私の周りでもかなりの人が通常では考えられない、何かに取りつかれたようなことになっていたと思われます。レッスンが終わった時には不思議と体と心が軽くなっていたのを覚えています。

後になって、あれは「活元運動」という体が意識から離れたときに勝手に動く現象のことで、体の自動調整機能のようなものだと知りました。日本でも「野口整体」を受けるとそのようなことが起こる場合があるとヨガの先生が言っていました。

この体験をしたあと、この世には目には見えない、説明のつかない力があり、この体と命はそういったものに生かされているのだなと心の底から実感できました。

「捨てろ!軽くなれ!」

一番最近はっきりと叫び声を聞いたのがこれ。ブログ記事にも書きましたね。

これがきっかけで私は自分の心と向き合い、宇宙元旦に合わせて心の捨て活を行うことができました。

特に私がパニックに陥った状況というわけでもないのですが、今思えば、2022年から2023年ごろに地球のアセンション(次元上昇)が起こると言われていて、宇宙元旦の前のこの時期に「この絶好の機会を逃すな!」と伝えたかったのだと思います。真我からしてみたらまるで「見えていない」私に十分気づかせたい状況だったのでしょう。

まとめ

このように、溺れて死にそうになったとき、体がコントロール不能で勝手に動いたとき、そして2022年の春分の日(宇宙元旦)の前の3度、私は心の叫ぶ声を聞きました。

思えば、重要なとき、緊急性があるのに私が気づかないときに、大声で叫んで私を救ってくれたのだと思います。

いつもは静かに、私のすることを黙って見ていてくれる心の声。

でも見守ってくれていると思っていたのが実は勘違いで、実は心の声はずっと何かを訴えているのかもしれません。心の声はとても小さいから、心が雑音だらけのいつもの状態では聞こえないのでしょう。雑念をとっぱらい心が静かに穏やかにならないと聞こえないのだろうと思います。

声は小さいですが、その声には不可能を可能にするような、奇跡を起こすようなとても大きな力があり、大きな愛に満ちており、常に私を幸せな方に導いてくれることを「知っています」。

ですからわたしは、もうエゴで思考である「私」ではなく、心の声(=真我)を信じること、この声を聴いて従い、生きることに決めました。心の中にいる真我こそ「わたし」であり、あらゆる決定権を委ねることにしました。

頭で考えるのではなく、感じる。感覚に従う。

そんなイメージです。

常に心の声をキャッチできるように、これまで以上に瞑想、そして内観に励もうと思います。

 

この記事がお役に立てたら嬉しいです。

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